カテゴリ:奈良( 9 )

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奈良のどこが好きといって・・・
数えればキリもありませんけれど・・・

塔のすばらしさは、他の追随を許しませんね。
興福寺、薬師寺、法隆寺、法起寺、法輪寺・・・etc・・・

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何度、ドキドキしたかわかりません・・・
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「デカい」・・・といえば、東大寺でこの南大門の、
運慶・快慶の仁王像もデカいですね。

先日、松本清張の『小説日本芸譚』を
パラパラと読み返していたら、
巻頭が『運慶』(最後が『止利仏師』)でした。

末期の運慶の 京都七条仏所、
病床での回想を軸に話はすすんでいきますが・・
・もちろん、この仁王像にも話は及びます。

ラジカルな写実が時代の風を受け、
京都仏師を追い越した慶派の棟梁として辣腕を振るう運慶・・・

しかし 世間は度の過ぎた「写実」に
少々 飽きはじめています。

「写実」のなかに、「宋の新様式」をとりいれた 
ライバル・快慶がもてはやされだした頃、
南大門の仁王像の発注がきます。

クライアントの重源も
「運慶の作はリアルすぎて、信仰の対象にはならない」
と快慶を高く買っています。

運慶が「吽形像」快慶が「阿形像」を受け持って 
わずか69日で制作された仁王像も・・・世間は・・・

「快慶のよさを、運慶が踏みにじった」

とそっぽを向いてしまいます。

このへんは、時代や人を追い越していったはずの男が、
いつの間にか取り残され・・・
怨嗟や嫉妬を撒き散らす いつもの「清張節」炸裂です^^

「もう一度、東大寺、興福寺も炎上して、
悉く自分の彫像が灰になればいい」

そんな言葉を残して、運慶はこの世を去ります(小説では)・・・

つづきはこちらから
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子供のころは大きく思えたものが、
大人になって案外 小さく感じられることはよくありますが・・・

ひさしぶりに見た大仏さんは、
心づもりをしていたよりも、大きかったです。

いつの間にか、不当に卑小化してしまってたのかもしれませんね。
なので・・・いつもより大きいサイズでアップしてみました(笑)

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平城京の南一条・・・法華寺から西に延びる道は「佐紀路」 東へ延びる路は「佐保路と呼ばれます。
佐保路を東にすすむと、転害門に突き当たります。
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国宝の指定を受けている、三間一戸八脚の堂々とした門ですが、いつも観光客がひきもきらない南大門にくらべて、訪れる人は稀です。
平重衡の兵火、三好・松永の戦いの戦火からも免れ、いま東大寺の伽藍建築のなかで、唯一 天平時代をしのぶよすが・・・なのですが、観光ルートからすこし離れていることが災いしているのでしょうか・・・
あるいは、主要建築群から離れていることが幸いして、兵火を免れたのかもしれませんが・・・
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「転害門」と呼ばれる由来は、大仏殿の西北にあり、吉祥の位置で「害を転ずる」の意によるともいわれます。
佐保路に面したことから「佐保路門」・・・源頼朝暗殺をたくらんだ平景清がひそんだとの伝説から「景清門」ともいわれていたそうです。

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          海龍王寺のまえを通るたびに、門の崩れかけた土塀に廃都らしい
          退廃したムードを感じたりしたものでしたが・・・久しぶりに訪れても、
          修復されることもなく昔のままでした。
          思えば、奈良には崩れかけた土塀がところどころあり、独特のムード
          を醸しています。
          修復できないのではなくて、わざと修復しない 奈良の「演出」なの
          でしょうか・・・
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          表門をくぐると、両側を築地塀に囲まれた長い参道がつづきます。
          この長いアプローチも、奈良らしくていいですね。

          法華寺の北東に隣接しますが、平城京以前・・・飛鳥時代からこの
          場所には毘沙門天を祀る寺院があったといいます。
          藤原不比等の邸宅が造営された際にも、取り潰されることなく屋敷に
          取り込むように残され、光明皇后の御願により、新たな堂舎が建て
          られて海龍王寺と名を改めます。
          平城京の整然とした条坊(いわゆる碁盤目状)にあって、東二坊大路
          が、ここで不自然に東にずれているのは、もともとあったこの寺院を
          避けてつくられたためだそうです、
          地図をみても、海龍王寺のまえが東側に膨れているのがわかりますが、
          これはその名残りなんだそうです。

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法華寺の境内に「横笛堂」といわれる建物がひっそりとたたずんでいます。
『平家物語』に登場する悲恋物語・横笛のエピソード・・・彼女は、法華寺で亡くなったとあります・・・

横笛は建礼門院に仕える雑仕女・・・身分は低いが、和歌や琴に秀でた美貌の持ち主。
あるとき、西八条殿で開催された花見の席で 美しく舞った彼女を、平重盛の家臣で滝口武者の斎藤時頼がひとめ惚れ。
あまたの男から求愛を受ける横笛も、武辺者の時頼に惹かれ、やがてふたりは愛し合いますが、身分ちがいの恋に父・茂頼は猛反対。
時頼は、
「夢まぼろしのような短い人生・・・みにくい女と連れ添ってなんになる。恋しい女と連れ添えないなら、いっそ仏門に入ろう!」
と嵯峨の往生院に入り出家・・・滝口入道と名乗ります。
時に時頼は19歳。

     われをこそすてめ、さまをさへかへけん事のうらめしさよ

捨てられたなら諦めようもあるけれど、出家までなさるとは恨めしい・・・と横笛は嘆きます。
彼女は往生院を訪ねますが 「修行の妨げになる」と時頼は会おうとはしません。
断ち切りがたい思いは時頼はも同じ・・・彼は京を離れ、高野山の清浄心院に入ります。
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一方、横笛も出家したことを知った滝口入道は

     そるまではうらみしかどもあづさ弓まことの道にいるぞうれしき

と歌を贈ります。
頭をまるめて尼になるまでは、きっと私のことを恨んでいたでしょうが・・・そのあなたが仏門に入って、私もうれしい・・・と。

     そるとても なにかうらみん あづき弓 ひきとどむべき 心ならねば

なんで恨みましょう・・・とても引き留めることのできないあなたの心ですから・・・横笛の返歌の方が一段上のように思えるのですが、いかかでしょうか・・・?

法華寺での横笛の死を知った滝口入道は、ますます修行に専心し「高野聖」と呼ばれ尊信を集めます。
まだ三十歳にもならない若者は、京にいたときの美丈夫の面影もなく、老僧のように痩せ衰えていたといいます。

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南大門とそも向こうに本堂(ともに重要文化財)
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平城宮のすぐ東には、藤原不比等の邸宅がありました。
その没後、娘の光明子、すなわち光明皇后がこれを相続して皇后宮としますが、のちに喜捨し、国分尼寺を意味する「法華寺」となります。
かつては広大な寺域を誇っていましたが、平安遷都以降 衰微し、いくたびの兵火や天災でことごとく堂宇を失います。
現在、平城京跡横の集落のなかに静かにたたずむ法華寺・・・本堂、鐘楼、南大門は慶長年間に、
豊臣秀頼とその母・淀殿が復興したものといわれます。

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歌姫街道を抜けると・・・そこには広々とした平城京跡がひろがります。
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最近「再建」されたふたつの建物・・・大極殿と朱雀門・・・近寄ってみても、なかへ入ってみても、正直、なんの感興も湧いてきませんでした・・・
ただ、いつか・・・奈良の風景のなかで、法隆寺や法起寺、薬師寺の塔を遠望するときに興るような感動を惹き起こす日が来るかもしれません・・・

(来ないかもしれません^^;)


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          僕はすこし歩き疲れた頃、やっと山裾の小さな村にはいった。
          歌姫という美しい字名だ。
          こんな村の名にしてはどうもすこし、とおもうような村に見えたが、
          ちょっと意外だったのは、その村の家がどれも普通の農家らしく
          見えないのだ。
          大きな門構えのなかに、中庭が広くとってあって、その四周に
          母屋も納屋も家畜小屋も果樹のならんでいる。
          そしてその日あたりのいい、明るい中庭で、女どもが穀物などを
          一ぱいに拡げながらのんびりと働いている光景が、ちょっとピサロの
          絵にでもありそうな構図で、なんとなく仏蘭西あたりの農家のような
          感じだ。
                          堀辰雄『大和路』

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