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カテゴリ:◇志賀越みち( 8 )

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今日、16日は五山の送り火ですね。

伊集院静さんの小説『志賀越みち』で、
主人公の東大生・津田雅彦君と、祇園の舞妓・真祇乃は、
五山の送り火の夜、荒神橋ではじめて逢引きをします。

  京都に入る時、琵琶湖畔の近江神宮から
  志賀越みちを登って来たんです。
  その時、比叡山から京都の街を眺めました。
  本当に街の通りが碁盤の目のようになっていました

  歩いて来はったんどすか?

真祇乃は目を見開いて僕を見返した。

  はい。京都には歩いて入ったんです。いい山径でした

  東京から歩かはったんとは違いますよね・・・

まさにそこが「志賀越みち」の基点だ
ということには触れられていませんが、
この小説にはこうして名前や由来をわざと伏せることで、
隠された意味や真実を仄めかす仕掛けが随所に見られます。

たとえば、山中の集落を流れる水に
「導かれるように」津田君は京都の町やって来ますが、
これは白川のことで、
真祇乃のいる間卉のすぐ裏手には白川が流れています。

ふたりの出会いが冒頭近くから暗示されているわけです。

その他にも、いろいろな伏線や
京都の町をつかった暗示が多く、
旅行者にも京都の町をよく知る人にも楽しい本になっています。

つづきはこちらから
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地平線までつづく、まっすぐな道路は、
アメリカ人の世界観や美意識を表しているのかな
・・・と感じます。(行ったこと、ありませんけど)

古代ローマ人が、征服した国に通した大きな道も・・・。

日本の古い街道は、不必要に湾曲しているものが多いですね。

最近、あの曲がり具合にとても惹かれます。

あるいは必要に応じて曲がりくねったものかもしれませんが、
あれも日本人の美意識の表れなのかな・・・と感じます。

滋賀は「道の国」といわれるように、
東海道・中仙道をはじめ、
古い街道がびわ湖を取り巻いて縦横に張り巡らされています。
あるものは国道や県道に転用されて、
道幅を拡張されたり、
あるものは生活道路として舗装されて、そのまま使われています。

またあるものは、新道のルートからは外されて、
古い町並みを今にとどめていたり・・・

街道に関する知識がなくても、道の湾曲具合から
「あ。これは、古い街道」
・・・と誰でもひと目で気づきます。

京都の町は、ご存知のように、
東西南北、規則正しい碁盤の目に通りが張り巡らされています。

「志賀越みち」はそんな碁盤の目を切り裂くように、
北東から斜めに鴨川、荒神口までつづいています。
(歩いていてもあまり感じませんが、地図で見てみるとよくわかります)
そして、古い街道だけあって、
京の町なかでも、やはり緩やかに湾曲しています・・・

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現在の山中越・・・
下鴨大津線の開通は意外に早く、昭和九年らしいです。

伊集院静さんの小説『志賀越みち』の主人公が
志賀越えをするのが、昭和三十八年の設定ですから、
すでにこの道路(「山中越ドライブウエイ」といったらしいです)
はできていたことになります。

現在のような車の頻繁な往来はなかったかもしれませんが、
小説に描かれているのどかなイメージとは、
若干、ちがっていたかもしれませんね。

さて、山中を過ぎて北白川の街なかへ行くまでに、
眼につくのは、なんといってもこの温泉です。

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           しがの山ごえで女のおほく逢へりけるに

           梓弓
           春の山辺こえくれば
           道もさりあえず
           花ぞちりける
   
                            紀貫之『古今和歌集』

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  志越みちを下りはじめると、
  道のかたわらに水音を立てる小川があらわれ、
  その水に案内されるようにちいさい山里に入った。
  山中町とある。
  家の軒には蓑笠や籠がかけてあり、
  白や赤の花が軒下や石垣の上に咲いていた。
  石仏を過ぎると、鳥居があり、
  樹下神社、極楽寺と瀟洒な寺社があった。
  ちいさな山里はせせらぎの音に包まれていた。
   こんな美しい山里は見たことがなかった。
  時鳥(ほととぎす)の鳴く声がして
  低い屋根の向こうに聳え立つ見事な杉林を見上げた。
  木立の間からさらに沢が上がっていて、
  そこに山桜が一本、残る花を咲かせていた。
  花に囲まれた里だった。(伊集院静『志賀越みち』)

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灼熱の「海の日」

古道「志賀越みち」を滋賀里(自宅近)から
終点(基点)の荒神口まで徒歩で歩き通し、
自宅へ帰った夕方・・・

なんだか腑に落ちなくて、
伊集院静さんの『志賀越みち』の冒頭部分を読み返してみました。

東京のぼんぼんの主人公は、
おそらく前日かその日に、近江八幡まで来て、
そのまま東海道線で京都へは行かず
「志賀越え」で京都へ入ります。

(景色を楽しみたいという主人公のリクエストに、
祇園のお茶屋の倅の友人が、
それなら「志賀越えや」とアドヴァイスします)

詳細な描写がないので、断定はできませんが・・・
どうやら主人公は近江神宮の脇から山道を登っていきます・・・

うーむ。

それは現在の山中越え・・・

滋賀県道・京都府道30号線(大津下鴨線)で・・・
「志賀越みち」とはちがいます。

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京阪石坂線の滋賀里駅から旧志賀越の道をすすんでいくと、
農家の途切れたあたりに見えてくる竹薮・・・

そこにあるのは、百穴古墳群です。

古代朝鮮半島からの渡来人の墳墓。

横穴式のドーム型の石室をもち、
盛り土の崩れた、なだらかな斜面に
パックリと「穴」のような玄室の通路を覗かせています。

現在60数基が確認されているそうですが、
おそらく100ほどの墳墓があるんだそうです。
100の穴・・・で百穴古墳^^

造営時期は6世紀後半・・・聖徳太子の時代。

それからおよそ100年後、
ここから数キロびわ湖側に「大津京」が営まれます。

そのあたりからここ・・・さらに北側の坂本にかけて、
同じような形式の古墳群が連なっています。

いまとなっては、当時の生活を知るよすがとてありませんが・・・
当時、このあたりは飛鳥と同じように・・・
あるいはそれ以上に・・・? 
日本でいちばんブリリアントな場所だったかもしれない
と想像するのも楽しいですね。

それと、この場所がいいのは、
自由に玄室に入れることです。
石を刳り貫いた石棺も見られ、
さすがにそこはロープが張られて、入室できませんが、
ほかの石室のなかには出入り自由・・・

なんなら、寝転がって昼寝することもできます。

つづきはこちらから
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この著者の本を読むのもはじめてで、
恋愛小説をすすんで読むこともないのですが、
タイトルに惹かれて伊集院静さんの『志賀越みち』を購読しました。

高度経済成長に沸く昭和38年。舞台は京都・祇園。

東京大学に通う「ええとこのボンボン」津田雅彦君は、
夏休みに、祇園で置屋を営む級友の実家へ遊びに行きます。

学業にいまひとつ身の入らない津田君は、
けっきょくそこで1年間居候することになるのですが、
偶然出合った舞妓の真祇乃(まきの)と恋に落ち

・・・とこう書くと

  「いつの時代の小説やねん!」

と思わず茶々も入れたくなりますが(笑)
そんな無理なシュチエーションも、
祇園祭や五山の送り火、
温習会などの行事や当時の祇園のしきたり、
いけずな年増の繰言なんかが
ゆったりとしたテンポで散りばめられているの
を読みすすむうち気にならなくなってしまいます。

物語の中盤、五山の送り火の夜に
「志賀越え」の京都側の基点、
荒神橋ではじめて逢引きするシーンからは、
知らずに一気に読み終わってました。

屏風祭での再会や新年、
花背の雪の中で最後の別れ
・・・など、思わずこちらが赤面してしまうほどの
紋切り型の連続なのに、読まされてしまうのは、
すごい著者の力技ですね。

ところで・・・

物語の冒頭、津田君は、
なぜか「志賀越え」で滋賀から京都へ入ってきます。
(そして、峠を越えて滋賀県側に入ったところで物語は終わります)
先日、そんな志賀越えみちを、
津田君よろしく大津側から京都まで、徒歩で散策(?)してみました。

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