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解けない謎があります・・・


先日「鯛まつり」を見に知多半島の南端
南知多町の豊浜を訪れ
祭りのはじまるまえ、早朝の漁村をブラついていたら
屋根のうえに鍾馗さんを二対見かけました。

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小屋根のうえに瓦製の鍾馗さんを
魔除けとして置く風は京の発祥で
その後、各地へひろまったといわれます。

京から伝わるとしたら 東へは東海道と中山道
北へは北国海道・・・近江を通って伝播するはずです。

たしかに近江の東海道中山道沿いには
古い町並みに鍾馗さんを見つけることは容易です。
東海地方でも鍾馗さんは馴染みのないものではありません。

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ところが、大津宿からびわ湖の西側
北国海道をへすすむと坂本から先
とんと鍾馗さんは見かけられなくなり
その先、北陸ではついぞその姿を拝んだことがありません。

いちど金沢の駅前で見かけたことはあるのですけれど
それは「京風」を標榜する店舗のアクセサリーとして
近年取りつけられたもののようで
長刀鉾や蘇民将来之子孫也のちまきと共に飾られていました。

そのことを以前ブログに書くと、鍾馗さんの研究家で
『鍾馗さんを探せ!』という快著の著者でもある方から
その通りであるという旨のコメントをいただきました。

前田利家が旗印として愛用した鍾馗を
戦災も受けなかった金沢で見かけないということは
これはまったく伝わってこなかったということでしょう。

古来、太平洋側よりも京との結びつきの強かった北陸に
なぜ鍾馗さんは伝播しなかったのでしょう・・・?
それもびわ湖の西側という、京からすぐ近くで
その足跡が途切れてしまっているんでしょう・・・?
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とことことこなめ やきもの散歩道

つづきはこちらから
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ユリカモメは人懐っこくて、愛嬌のある鳥ですね。 

比較的長い期間、全国各地に越冬しにくるので、馴染みの顔。
そのせいか、多くの自治体が市や区の鳥に
指定しているそうで、僕の住む大津市もそのひとつです。

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滋賀の「県鳥」は「カイツブリ」・・・
これは年中、びわ湖にいます。 
大津には「カイツブリ」の別名「鳰」(にお)の名をを冠した 
「におの浜」という地名もあるので、
てっきり「カイツブリ」が市鳥と思い込んでいたのですが・・・。

「鳰」といえば・・・

鳰の湖(北の湖部屋)という力士をご存知でしょうか。
 
その名からもおわかりのように、滋賀県・・・大津市の出身。 
身長173.5センチと小兵ながら、
先場所、新入幕入りを果たしました。
・・・が、ちょっと残念な戦績でした。

「鳰」という漢字に馴染みがないせいか、
よく「鳩(はと)の湖」と間違えられるそうです(笑)

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これはよく知られた話ですが・・・

京都の鴨川の冬の風物詩にさえなっている感
のあるユリカモメですが、
飛来するようになったのは1974年からだとのこと。 

もともとびわ湖へ飛来していたユリカモメたちが、
昼間だけ鴨川へやってくるようになり、
日暮れには比叡山を越えて 
またびわ湖へ帰っていきます 

(いや、帰ってきます^-^)。 

どうしてそんな面倒なことをするのかはわかりませんが、
ユリカモメは餌を投げたりすると
物怖じです近づいてくるので、
冬でも人の多い鴨川は格好の餌場なのかもしれないですね。

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古典文学に登場する「都鳥」というのは、
現在その名で呼ばれている鳥ではなく、
ユリカモメのことだという説が有力なのだそうです。 

  京には見えぬ鳥なれば みな人見知らず

・・・と『伊勢物語』にはありますが、
都にはいなかった鳥が都鳥と呼ばれるのも不思議なら、
その鳥が20世紀になって
かつての都に姿を現すようになった、
というのも、因縁深い話ですね。

(三河湾にて)
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妻が近所のスーパーの抽選で、日帰りバスツアーを当ててきました。
ということで、今日、いっしょに行ってきました。

三河食べ歩きなんとか・・・というよくわからない企画です。 

パンフレットを見ていると、1名に鯛の掬い取りが当たる
・・・という奇っ怪な文言が!
 
「こんなん当たったら、どうすんねん」 

とバスのなかで妻と笑い合ってっていたら・・・
なんとその妻が鯛を当ててしまいました(笑)

  えっ? この鯛ですか? 
  さっそく刺身にして食べましたが・・・何か?

三河・・・といえば徳川家康。 
彼は鯛の天ぷらがあたって死んだとか・・・。 
新年から鯛があたる、というのもどんなもんなんでしょうね(笑)
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駅の北口・南口、東口・西口で
風景が一変するのはよくあることですね。

かたやある時期に開発をストップさせたような町並みがつづくかと思えば、
一方ではポストモダンな(建築物が林立する
・・・流れてる時間まで違うみたいです・・・

つづきはこちらから
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なんとかと煙は高いとこが好きとかで(笑)
よっぽど時間のないとき以外は、ついつい登ってしまいます。
全高180mの名古屋テレビ塔からの眺めです。

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芭蕉最古の句碑といわれる千鳥塚は、
名古屋市緑区にあります。

万葉からの歌枕。

千鳥が群れる情景を想像していたので、
ベッドタウンのふつうの公園を通り過ぎてしまいそうになりました。

江戸時代は、東海道の本陣があって、
賑わった街道筋ですが、その面影もありません。

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田縣神社から、車で15分ほどの距離にありますが、
行政区分では犬山市になります。

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愛知県小牧市にある神社。

祭神は御歳神と玉姫神、五穀豊穣と子宝の神さまです。

毎年3月15日に行われる豊年祭は、奇祭として有名です。

男達が大きな男根をかたどった神輿を担ぎ、、
小さな男根をかかえて、巫女たちが抱えて練り歩く
・・・というトンデモ祭です。(未見)

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琵琶湖一斉清掃、お疲れさまでした。

というわけで、城から城へ。
カフカからセリーヌです。

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徳川家康が九男義直のために築城したとされ、
徳川御三家の一つでもある尾張徳川家17代の居城
として明治まで利用されました。

天守に上げられた金の鯱は、
お城だけでなく、名古屋の象徴ですね。

名古屋大空襲で天守群と御殿が焼失。
天守などは戦後に復元されています。

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