カテゴリ:石川( 41 )

美しい星

c0196076_07545876.jpg

石川県の羽咋市では江戸時代からUFOが目撃されていたといわれます。

現在も「宇宙人パン」「UFOもなかがおみやげものとして売られ
自ら「UFOのまち」を標榜するほどの頻出地として有名ですが
先日、同じ能登半島の能登町宇出津で花火を観覧中していたときに

生まれてはじめてUFOなるものを目撃してしまいました! (左上)


・・・というのはUSOで、ドローンによる花火撮影でした(笑)


by dendoroubik | 2017-07-09 17:23 | 石川 | Trackback | Comments(4)

加賀橋立

c0196076_22495560.jpg

石川県加賀市の日本海を望む丘陵に
かつて北前船で隆盛を極めた集落「加賀橋立」があります。
(重要伝統的建造物群保存地区)

北前船の船主、船頭、船乗りが居住した集落で
青味がかった笏谷石を基礎にして張り巡らせた板塀
赤褐色の屋根を載せた縦板張りの主屋や土蔵が建ち並ぶ
統一性の高い独特の景観を見ることができます。

明治5年の大火で集落の約6割が焼失したものの
廻船業の富を背景に速やかに復興。より豪壮な家屋が再建されます。
明治後半、北前船の衰退にともない、船主たちは他業種に転換し
全国に散らばってゆきますが、町並みは当時のまま残されています・・・


つづきはこちらから
by dendoroubik | 2017-02-15 08:01 | 石川 | Trackback | Comments(2)

c0196076_22331969.jpg


c0196076_22333292.jpg

金沢の街を歩いていて、
ありそうでなかなかお目にかかれないのが、
小屋根のうえの「鍾馗(しょうき)さん」と、
その軒下の「飛び出しくん」です。

以前、「鍾馗さん」の方は、金沢駅近くで見つけたんですが、
それは文化として伝播したものというよりも、
つい最近、インテリアとして取り入れられたもののようでした。

そのことをブログで紹介すると、
鍾馗さんの本を出版されている研究家の方から、
主計町に一体見つけたが、これもインテリア風だった
という旨のコメントをいただきました。

⇒「金沢の鍾馗さん」

金沢を疾駆するこのとび太くんは、
先日、金沢にお住まいの女性から送っていただいたものです。

メジャーリーグで活躍する、
日本人選手を見るような晴れ晴れとした光景です!

久田さんのサインが入った「とび太くんミニ」
・・・だから、これも最近の「インテリア」にはちがいないのですが、
京都発祥の「鍾馗さん」と、滋賀発祥の「とび太くん」が、
百万石の城下町で、東からの風に負けずに
奮闘してくれることを、願わずにはいられません・・・。

(ちなみに、長町武家屋敷近くだそうです)
by dendoroubik | 2015-03-14 21:00 | 石川 | Trackback | Comments(0)

金沢の鍾馗さん

c0196076_1117410.jpg

探せばどこかにないことはないだろう

・・・とは思っていたのですが、
先日、偶然、金沢ではじめて鍾馗さんを見かけました。

不意打ちのように目に飛び込んできたので、
あれ? ホンマかいな・・・と、
一瞬、戸惑ってしまいました(笑)

c0196076_11272266.jpg

古い町並みを散策するとき、
無意識に小屋根のうえに視線がさまよっています。

 鍾馗さんがいないか・・・と。

しかし、金沢や富山の古い街並みにそ
の姿を認めることは、いままでいちどもありませんでした。

前田利家公の旗印が鍾馗であったことから、
町衆がこれを町家に取り入れることを遠慮したのかな
・・・とも考えてみたのですが、
それでは福井でも見かけないことが説明できません。

京の町家を発祥とする、瓦製の魔除けの鍾馗さんは
近隣の国に伝播した痕跡をいまも残し、
とくに京から東海道、中山道を通って中部地方へかけて
頻繁に見ることができます。

ところが、びわ湖の西側から
北陸まで伸びる「北国海道」では、
坂本から先、パタリと見かけなくなります。

(もちろん、しっかり「調査」したわけでなく、ただの「印象」です^-^;)

京から最初の宿場町・大津や
その先、びわ湖の東側の街道筋に
あれだけの鍾馗さんが分布していることからすると、
これはやはり故のないことではないようにも思えます。

c0196076_1124735.jpg

発見したのは、金沢駅近く、越田本町。

  「町家焼肉」

という屋号のお店でした。

よく見ると軒下になぜか祇園祭のちまきが・・・。

・・・ということは、この鍾馗さんは

家人の趣味で京風のインテリアとして取りつけたもので、
金沢の文化として根づいたものとはいえないようですね。

やはり、金沢には鍾馗さんは来なかったのでしょうか・・・?
by dendoroubik | 2012-06-04 18:00 | 石川 | Trackback | Comments(2)

c0196076_1348314.jpg

2年まえに能登半島を半日で巡ったとき、
分家した「下時国家」に寄っただけで、
こちらはスルーしてしまいました。 

昨年「名舟大祭」を見物した際、2日目(8/1) 
午後からはじまる祭のまえに、
駆け足ながら見学することができました。

そのとき、いちばん目を惹かれたのは、
桃山時代風の公卿書院造、大納言格式の 
「御前の間」・・・その金縁天井を区切る欄間に彫りだされた
蜃気楼でした。 蜃気楼の欄間なんて、なかなかシャレてますね。

古代中国では、蜃気楼は
大ハマグリの吐く息によって発生するもの
・・・と信じられていたといいます。 

「蜃」は大ハマグリ。「気」は息。「楼」は建物。

大ハマグリの吐いた息で描かれた建物。 
欄間にも ちゃんと大ハマグリが彫りだされていました。

c0196076_13485385.jpg

壇ノ浦で敗れた平家の武将、平時忠は 
「三種の神器帰座」によって
軌殺は免れたものの、能登、珠洲に配流。
その子、時国は平家であることを捨て、
「時国」姓を名乗り、これがこの家の興りです。 

のちに一族は、この地を支配する豪農として長きにわたり繁栄。 
江戸時代には天領、大庄屋として名字帯刀も許されます。

現在の上時国家は、天保2年、28年の歳月をかけて
完成したといわれる大規模な住宅(重要文化財)。 
威圧されるような堂々たる建物ですが、内部はいたって質素。 
ただ、この「御前の間」だけは例外です。

かつて加賀藩主が訪れたとき

  余は中納言ゆえこの部屋に入るわけにはゆかぬ

と断られ、やむなく天井の一部に紙を貼って 
格式を外し入室されたという逸話があります。
・・・と、案内のテープで説明がありました・・・
by dendoroubik | 2012-01-22 00:00 | 石川 | Trackback(2) | Comments(2)

大野 からくり記念館

c0196076_0301571.jpg子供のころ夢中になったテレビに、
プロレスやキックボクシングの他に

『天下御免』

というNHKの時代劇がありました。

「享保年間・田沼意次時代が舞台である。 
平賀源内を主人公に、江戸時代のごみ問題や
鉛公害問題、受験戦争等を風刺。 
視聴率平均が約30パーセントと人気を博し、
政治的圧力にも屈せず1年間全46話の放映を達成した。 
美濃部亮吉・東京都知事もゲスト出演したことがある。 
本作の終了直前には、裏番組の「太陽にほえろ!」(日本テレビ)が
製作中止を検討したというエピソードもある」(ウィキペディア) 

・・・というほどの人気番組でしたが、
当時はテープを使いまわししていたらしく、
残念ながらVTRは現存しないそうです。 
平賀源内役は山口崇さん 
渋い剣の達人、小野右京之介役が林隆三さん、
義賊、稲葉小僧に秋野太作さんのトリオ。 
恋人役の中野良子さんが、子供心に眩しかったなあ!

獄死したといわれる源内・・・実は気球に乗ってフランスへ亡命!

・・・という あっと驚く痛快なラストシーンがいまも印象に残っています。 

あんな自由な発想は、いまのドラマにはないですね・・・

c0196076_032393.jpg

平賀源内が獄死(フランスへ亡命?)した翌年、
大野弁吉(中村屋弁吉)は京都五条に
羽細工師の子供として生を享けます。

長崎で理科学、医学、天文、暦数、鉱山、写真、航海学を習得。 
一世代ちがいますが、幕末のマルチ人間として
平賀源内と通じるものがありますね。 
長崎から対馬、さらには朝鮮半島へも渡ったという
あくなき探究心は源内以上かもしれません。 

帰京後、加賀国大野村生まれの
中村屋八右衛門の長女に婿入りし、その後、大野に永住。

宮腰(金石)の回船問屋・銭屋五兵衛の
アドバイザーも務めていたといいますから、
その博覧強記ぶりは広く知れ渡っていたんでしょう。 

加賀藩主も彼を20人扶持で
召抱えようとしたようですがこれを固辞。
 
自由人としての気概でしょうか。 

清貧のうちに、数々の発明品、木彫、ガラス細工、
塗り物、蒔絵などの工芸品、からくり人形などを製作します。 
(先日見物した『美川おかえり祭』の濱町のからくり 
「楊貴妃」は弁吉の作といわれているそうです)

弁吉は政治に関わるということもなく、
発明品がその後 産業へと発展したということもないので、
一地方でその生涯を終えた「忘れられた人」の一人です。 

思い出されたとしても「奇人」「マッドサイエンティスト」 
というくらいの扱いですが、
やはり幕末が生んだ天才として興味は尽きませんね。

その弁吉の発明品や生涯の紹介などを中心に、
からくりの展示をおこなっているのが『からくり記念館』です。 

(あー、前置きの長いこと!)

つづきはこちらから
by dendoroubik | 2011-12-11 18:00 | 石川 | Trackback | Comments(2)

金沢 大野の町並み

c0196076_19332636.jpg

金沢市北西部、大野川河口の港町・大野と
西隣に隣接する犀川河口の宮腰(金石)は、
ともに北前船の寄港地で繁栄した地域でしたが、
利害が対立することが多く、
ことあるごとに諍いをおこしていたといいます。 

宮腰には加賀藩を代表する豪商・銭屋五兵衛もおり、
藩の外港としの優遇を受けて一歩リード・・・
同じ機能の港を有する大野の人たちにとっては、
おもしろくなかったんでしょうね。 

あまりの仲のわるさを見兼ねた加賀藩は
大野と宮腰とを合併させ 

  「固いこと金石(きんせき)の交わり」(固い約束の意) 

・・・から金石(かないわを町名とさせます。 

しかし、気質のちがいなのか、心理的な障碍があったのか、
明治31年には住民の嘆願などもあって
大野町という名まえが復活。 

金沢市に合併した今もこの名まえが残っています。

c0196076_193563.jpg

数年まえ、金石の町並み
駆け足で散策したことがあるのですが、
隣接する町なのに大野はまったく受ける印象がちがっていました。 
(ともに金沢市の指定する10ケ所の
「こまちなみ指定区域」 のひとつ) 

雰囲気のちがいをどう説明したらいいのかわかりませんが・・・・
金石は「材木の町」 大野は醤油の町」

・・・といえば、すこし雰囲気が伝わるでしょうか・・・

つづきはこちらから
by dendoroubik | 2011-12-09 22:00 | 石川 | Trackback | Comments(10)

兼六園の雪吊り

c0196076_23351084.jpg

  こちらは、兼六園のなかで
  もっとも枝ぶりが良いといわれる<『唐崎の松』です。
  加賀藩13代藩主、前田斉泰が近江八景のひとつ、
  びわ湖畔の『唐崎の松』から
  種子を取り寄せて育てた黒松です。 
  柱に縄で円錐形に組まれた『雪吊り』は、
  雪の重みによる枝折れを防ぐために施されるもので、
  冬の訪れを告げる金沢の風物詩としても親しまれています。

ガイドの女性が説明し、そのあとツアー客が 
『唐崎の松』のまえで記念写真を撮ります。 
僕はそのびわ湖畔の唐崎からやってきたのですが、
たまに訪れるその本家の霊松のまえで
誰かが記念写真を撮るシーンなんて
ついぞ遭遇したことがありません(笑)
記念写真どころか、唐崎にわざわざ 
「観光」に来る人さえ稀です。

『近江八景』では「唐崎の夜雨(やう)」
として取りあげられてはいますが 
夜なんてなおさらです。

それに引き換え兼六園版『唐崎の松』は
ライトアップなんかもされるほどの貫禄ぶり。 
おまけに、歌川広重の描く画のように、
雪吊りの縄がまるで松の枝に
夜雨が降るかに見えてくるから不思議です・・・

つづきはこちらから
by dendoroubik | 2011-12-08 18:00 | 石川 | Trackback | Comments(6)

日本海の香りの箱

c0196076_22155238.jpg

関西のスーパーや鮮魚店ではズワイガニの雌蟹は 

  「セイコガニ」
  「セコガニ」

という名前で売られていますが、同じカニでも 

  「香箱蟹」

という名前がついていると どこかしら高級感が漂いますね。 

「コウバコガニ」というネーミングの由来には諸説あるそうですが 

  「日本海の香りが詰まった箱」

だから・・・といわれると納得してしまいます(笑)

c0196076_2223589.jpg

カニを食べている写真は生々しいので・・・

金時草も初体験でした! ウマイ!

c0196076_2219253.jpg

ビジネスマンっぽい人たちも昼間からビール呑んだり・・・

なんてうらやましい! 

住むならやっぱり海の近くです・・・
(海の近くに住んでる人が必ずしも昼間から
ビールを呑んでるわけじゃないでしょうけど・・・)
by dendoroubik | 2011-12-06 22:49 | 石川 | Trackback | Comments(6)