99.りょうとくじのおはつきいちょう
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「まだやってんのか?」

・・・って感じですが(笑)

「り」がどうしても思い浮かばず、中断してました。

やっと思いつきました。「了徳寺のお葉付き銀杏」。国指定の天然記念物です。

中山道醒ヶ井宿。
清流にしか咲かないという「梅花藻」で知られる地蔵川沿いにある、了徳寺。
その境内にある樹齢150年とも200年ともいわれるイチョウは
葉にじかに銀杏がなる不思議な木。

化石から出土するイチョウによく似たものが多く
先祖返りしたものではないかといわれるそうです。

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by dendoroubik | 2013-01-09 23:10 | ◇湖国百景しりとり紀行 | Trackback | Comments(6)

92.たがたいしゃのまんとうさい
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  お伊勢参らばお多賀に参れ
          お伊勢お多賀の子でござる

伊勢神宮の祭神、アマテラは
多賀大社の祭神、イザナギ、イザナミの子なのだから
伊勢よりも多賀へ詣でるべき・・・

このキャッチコピーが功を奏したのかどうか
中世から近世にかけて伊勢、熊野とともに多賀大社は庶民の参詣で賑います。

お多賀さんが隆盛したのは
当時の近江が交通の結節点だったこともあるのでしょうが
現在も滋賀県でもっとも初詣の参拝者数が多いのは、やはりお多賀さんです。

夏の風物詩「万灯祭」。

その名の通り一万二千の灯火があげられます。
黄泉の国の大神となったことで
祖先の霊をお護り下さる女神となったイザナミに
感謝を捧げる祭りだといわれます・・・。

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by dendoroubik | 2013-01-05 01:10 | ◇湖国百景しりとり紀行 | Trackback | Comments(2)

新年あけましておめでとうございます。

お健やかに新年をお迎えのこととお喜び申し上げます。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。


年末年始とも仕事のため、
どこへ出かけるということもなく・・・
昨年のつづきからスタートさせていただきます。

91.こせいのたなだ
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いまから400万年~600万年まえ・・・

びわ湖は現在の三重県上野市あたりに形成されたそうです。

鈴鹿山脈の隆起にともない、しだいに北へ移動していき
100~40万年まえ、比良山系に行く手を阻まれる格好で
現在の位置に定着しているのだとか。

このため、湖西地域は湖と山との間隔がとても狭いのです。

びわ湖のデッドエンド、湖西地域は湖東地域のような広大な田地に乏しく
さまざまな「棚田」が見られるのが特色といえるかもしれません。

「日本の棚田100撰」にも選定された「畑(はた)の棚田」

営々と築かれた石垣が
まるで南米の古代遺跡を思わせる(?)「鵜川の棚田」

びわ湖を眼下に見下ろし
朝日がきれいに見える「栗原の棚田」

そして、なんといっても圧巻は、馬蹄形の田をもつ「仰木の棚田」

この不思議な形をしたこの棚田を眺めていると
地形条件から致し方なく・・・というよりも
もっと別な理由(たとえば、宗教的な)により
意図的に造形されたものではないか、・・・と、ふと感じてしまうほどです。
by dendoroubik | 2013-01-01 23:00 | ◇湖国百景しりとり紀行 | Trackback | Comments(10)

年内に完結するつもりでしたが、
断念しました(^‐^;

・・・って、わざわざ書くようなことでもありませんが
よろしければ、また来年もお付き合いくださいませ(^-^

皆様にとって、どうぞ良いお年でありますように・・・



81.うまみおかわたむきじんじゃ
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馬見丘綿向神社は、もともとは日野町の東にある
標高1000メートル強の綿向山の頂上に鎮座。
蒲生氏が城下町を開いてから現在地(蒲生郡日野町村井)に移されました。

蒲生氏の氏神として、また日野商人の崇敬のもと、
東近江有数の神社として栄えます。

5月2、3日、800年以上の歴史を持つ例祭「日野祭」が行われます。

豪華絢爛な曳山と1年に一度、その曳行を見るためだけにつくられた
「桟敷窓」
をもつ町並みが見事。

写真は、神事のあと、御幣のような紙の冠をかぶった稚児が
神橋を抱きかかえられて渡る神秘的なシーンです。

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by dendoroubik | 2012-12-31 00:35 | ◇湖国百景しりとり紀行 | Trackback | Comments(10)

 71.けいそくじ
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   湖東、湖南、大津地区にそれぞれ人気の紅葉スポットがありますが、
   湖北の代表格がこの「鶏足寺」でしょうか。

   奈良時代の創建といわれ、
   中世には僧兵を擁し「湖北の比叡山」とまでいわれた諸寺も、
   いまは苔むした石垣や諸堂の礎石のほかに往時を偲ぶものはなく、
   200本以上といわれる背の高い紅葉の古木が
   秋には紅く燃えあがるばかりです。

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by dendoroubik | 2012-12-28 22:30 | ◇湖国百景しりとり紀行 | Trackback | Comments(8)

61.ありはらしゅうらく
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滋賀県には「かくれ里」と呼ぶにふさわしい
趣のある集落がいくつかあります。
なかでも君ケ畑、菅浦、
そしてこの在原集落がその代表でしょうか。

君ケ畑は、皇位継承に敗れた惟喬親王が
わずかな家臣をつれて幽棲した土地・・・といわれ
菅浦は淳仁天皇が藤原仲麻呂(恵美押勝)の乱のあと、
幽閉された(淡路島ではなく)土地・・・という伝説があります。

この在原集落は、平安時代の歌人、在原業平が
晩年過ごした土地と伝えられ、
彼の墓といわれる宝篋印塔や、腰かけた岩、
とされるものも残されています。

この伝説よりも、茅葺屋根の残る集落として、
在原は知られているかもしれません。
ただ、同じ茅葺の里、京北の美山のような規模はなく、
まったく観光化はされていませんし、文化財指定もありません。

福井との県境の山懐にあり、
近畿でも有数の豪雪地帯です。
昨年、雪を頂いた茅葺屋根を見たくて訪れてみたのですが、
集落全体が雪にすっぽりと覆われて、
ほとんど雪を見に行ったようなものでした・・・

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by dendoroubik | 2012-12-24 11:00 | ◇湖国百景しりとり紀行 | Trackback | Comments(6)

51.しこぶち
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「しこぶち」というのは滋賀県固有の・・・
というか安曇川とその支流域固有の神さま。

「しこぶちさん」(思子淵、志古渕、信興淵)を祭神とする神社は、
高島市朽木小川(写真)、同朽木岩瀬、同安曇川町中野、
大津市葛川坂下、同葛川坊村町、同梅の木町、
京都市左京区久多中の町ににあり、
これを「七シコブチ」と呼ぶそうです。

かつて安曇川とその支流の地域には
林業を生業とする人が多く、
伐採した木を筏にしてびわ湖まで流していました。

各地域に残る「しこぶちさん」の昔ばなしに共通するのは、
彼が筏流しをしているとき、
いっしょに乗っていた息子さらったカワタロウ(河童)を、
コテンパンにやっつける・・・という話です。

危険をともなう筏流しから杣人たちを守ってくれる
マッチョなイメージ・・・でしょうか。

白州正子は著書のなかで、「しこぶち」という名は 
「醜の御楯(しこのみたて))とか
「葦原醜男(あしはらのしこお)」と同じ「シコ」からきており
「醜い」というよりも「荒い」「強い」の意味ではないか
・・・と書いています。

(『かくれ里』所収「葛川明王院」)

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by dendoroubik | 2012-12-22 18:10 | ◇湖国百景しりとり紀行 | Trackback | Comments(0)

41.やまもとやま
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賤ヶ岳から南へつづく山並みの南端に位置する山本山は、
「日本むかしばなし」に出てくるような
円錐形のかたちをしています(標高325メートル)

この山には2種類の人が訪れます。

平安末期に築城され山崎の合戦後、廃城となった
山頂の山本山城址を見物に来る人、

カムチャッカ半島から越冬のためにやってくる
オオワシのメスの個体(今年で15年連続)
通称「山本山のおばあちゃん」を観察に来る人。

「や」ではじまる言葉のストックが尽きました。
つぎに「や」が出ていたら、続行不可能です・・・)

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by dendoroubik | 2012-12-19 01:01 | ◇湖国百景しりとり紀行 | Trackback | Comments(8)

31.べんけいのひきずりがね
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近江の昔ばなしでもっともメジャーなもののひとつは、
田原藤太秀郷のムカデ退治の話でしょうか。

承平年間(十世紀前半)
近江富士(三上山)に棲む大ムカデを退治し、
びわ湖の龍神よりお礼に梵鐘を授かった・・・という話。

田原藤太はこの梵鐘を
三井寺に寄進したと伝えられています。
(実際はこの鐘は、さらに時代を遡って、
奈良時代のものらしいのですが・・・)

この梵鐘には後日談があって、
これもまたメジャーな伝説です。

山門(比叡山)と寺門(三井寺)との争いが激しかった頃、
力自慢の弁慶が三井寺からこの梵鐘を奪い取り、
比叡山まで引き摺りあげて、試しに撞いてみると

  「いの~ いの~(帰ろう 帰ろう)」

と鳴ったとか。

  「そんなに帰りたいのなら、帰れ!」

怒った弁慶は、梵鐘を谷底まで投げ捨てたというものです。

そのときのキズ跡やワレ目などが残っています
・・・と、現在は撞かれることもなく
三井寺金堂西の霊鐘堂に奉安されている
この梵鐘に添えられた説明にあります。

三井寺の塔頭、法明院に葬られることを望んでいた
アーネスト・フェノロサも この話が好きだったらしく

  「私が、もしちがう場所に埋葬されてしまったら、
  弁慶の引き摺り鐘みたいに
  『帰りたい。帰りたい』と泣き叫ぶかもしれないよ」

と、生前、妻に話していたそうです。

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by dendoroubik | 2012-12-17 19:50 | ◇湖国百景しりとり紀行 | Trackback | Comments(4)

21.たろうぼうぐうおひたきたいさい
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巨岩が露出した円錐形の赤神山(標高350m)。
その急斜面の中腹に取りつくように鎮座するのが、
約1400年前の創祀と伝えられる太郎坊宮こと阿賀神社。

毎年12月第1日曜日におこなわれるのがお火焚大祭。
3メートル四方の護摩壇に火が入れられるや、天突く煙。
修験者たちが次々と護摩木を投入していきます。

ともかく煙が大迫力!

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by dendoroubik | 2012-12-14 21:35 | ◇湖国百景しりとり紀行 | Trackback | Comments(0)