「ほっ」と。キャンペーン

カテゴリ:◆越中の祭 呉西( 55 )

c0196076_21481581.jpg

もう5ケ月もまえのことで、自分でも見返してピンとこないのですけれど
夏に富山石川を旅した初日に見た高岡の花火と七夕まつりです・・・


つづきはこちらから
c0196076_07271781.jpg

昨年4月にオープンした富山県高岡市の「御車山(みくるまやま)会館」
今年の8月に訪ねました・・・

毎年5月1日におこなわれる高岡関野神社の春の例祭「御車山祭」
(国指定重要有形・無形民俗文化財)の曳山と
鉾留、車輪、轅、幔幕などの部材、歴史などを通年展示する施設です。


つづきはこちらから
c0196076_23325187.jpg

「五箇山民謡祭」では 21の団体が民謡民舞を披露。

会場の移動や昼食を摂ったりしている間に、
「小谷麦屋保存会」「新川古代神保存会」
「利賀村むぎや保存会」「伏木帆柱起し祝唄保存会」
「越中夜高太鼓保存会」「越中五箇山民謡保存会」
・・・6つを見逃してしまいました。残念です。

すでにUPした「南砺平高校郷土芸能部」
「越中五箇山こきりこ唄保存会」「越中五箇山麦屋節保存会」
「願念坊踊保存会」「魚津せりこみ蝶六保存会」
「明日の稚児舞保存会」「五箇山塩硝鉄砲隊」
「越中八尾おわら保存会」「越中城端麦屋節保存会」
「氷見網起し木遣り保存会」以外に見ることができた演舞は4つです・・・

つづきはこちらから
c0196076_14471182.jpg

「木遣り」の語源は「木を遣り渡す(運ぶ)」。
重いものを引きあげるときに、
気合を入れるための掛け声や、
それがやがて歌へ変化していったもの・・・。

棟上げの際の祝歌として唄われるものや、
江戸鳶がひろめたとされる木遣りなどが有名ですが、
「氷見ブリ」・・・の水揚げで全国にその名を馳せる、
氷見の浦でも、江戸末期から重い網を起こすために、
木遣り歌が唄われていたそうです。

漁業の近代化とともに、途切れてしまったこの歌を、
伝え残そうと活躍されているのが
「氷見網起し木遣り保存会」のみなさんです・・・


つづきはこちらから
c0196076_10473282.jpg

五箇山で生産された生糸は、城端で絹織物となり
小松絹などと共に「加賀絹」として上方や江戸に。

この運搬ルートはさながら「日本のシルクロード」。

たとえば生糸の売り買いを通じて
近江長浜の子ども歌舞伎が、加賀小松に移入されたり
江戸への商用で習い覚えた端唄が
城端曳山まつりの庵唄に受け継がれるなど
「シルクロード」の痕跡は祭りにも残されています。

一方、五箇山の蚕の口から吐き出される美しい生糸ではなく
その糞からつくりだされた塩硝(黒色火薬の原料)が
どの道を通って金沢まで送り届けられたか・・・
「絹の道」ならぬ「塩硝の道」は明らかにされていません・・・

つづきはこちらから
c0196076_12224942.jpg

富山県内には、富山市婦中、中名の熊野神社
射水市下村の加茂神社、立山町岩蔵寺の雄山神社、
朝日町宮崎の鹿島神社などに稚児舞が伝承されていますが、
この宇奈月明日(あけび)の稚児舞は北陸では珍しく
仏寺(法福寺)でおこなわれるものです。

明日の稚児舞は「矛の舞」「太平楽」
「臨河の舞」「萬歳楽」「千秋楽」の5曲からなり、
この日はそのうち「臨河の舞」と「千秋楽」が披露されました。

つづきはこちらから
c0196076_22415686.jpg

「蜃気楼の見えるまち」・・・としても知られる、
富山県魚津市で、毎年8月の第一金曜日から日曜日まで、
「じゃんとこい魚津まつり」というお祭りが開催されます。

金曜と土曜には、国指定重要無形民俗文化財「たてもん祭り」
土曜には花火大会などもあり、最終日の夜には
この「せりこみ蝶六(ちょうろく)」の町流しがおこなわれます。

台風で中止になった年も含めると、
「たてもん祭り」へは3度行きました。
が、フィナーレの「せりこみ蝶六」は未見。
いつか見てみたいものだと思っていました。

ステージからでも、その楽しさが伝わってきて、
ぜひとも本番を見たいという思いが募ってきました・・・

つづきはこちらから
c0196076_9574167.jpg

小矢部市綾子地区に伝わる「願念坊踊」は、
「石山本願寺の合戦」で和睦が成ったとき、
越中から戦いに参加した僧俗ちが、
生きて帰れるうれしさに歓喜し、唄い乱舞したもので、
これを故郷に持ち帰ったものといわれます。

富山市下大久保の「高砂山願念坊踊」も有名です。

つづきはこちらから
c0196076_013215.jpg

「こきりこ」と並んで、五箇山民謡を代表する「麦屋節」。

源平の戦いに敗れた平家の一門が、五箇山に隠れ棲み、
慣れぬ農耕の合間に、ありし日の栄華を偲んで唄い踊ったもの
・・・ともいわれますが、史実かどうかはわかりません。

哀切に満ちた旋律と歌詞、間然としたところのない、
潔い動作の笠踊りを見ていると、そんな詮索をするまえに、
日本人の心に響いてくるものがあります。

「落人の心を思いやりながら唄い踊ること」

保存会の方々が心がけておられることだそうです。

つづきはこちらから
c0196076_2392696.jpg

柳田國男から「こきりこ節」のことを教わった詩人の西条八十は、
昭和5年、採譜のために越中五箇山を訪れます。
が・・・すでにこの唄を伝承する人はなく、
長らく「幻の日本最古の民謡」といわれていました。

それから約20年後・・・

五箇山民謡を採集していた地元小学校校長、
のちに「越中五箇山こきりこ唄保存会」初代会長となる高桑敬親が、
上梨地区に住む、山崎しい・・・という老母の唄を採譜、発表。

これが、中学の音楽の教科書にも載っている「こきりこ」の唄です・・・

(昔の校長先生は偉かったんだなあ・・・)

つづきはこちらから