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大覚寺節分会 「大物之浦」

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大昔の芝居を見ていると、歴史的背景や人間関係がわからなくて
物語自体がよく理解できないことがしばしばあります。
それらが理解できても、現在の道徳からかけ離れていて
とうてい共感できないということも少なくありません。

『船弁慶』は、一般受けするわかりやすい能だといわれます。

たしかに、壇ノ浦に滅んだ平家の公達
義経と弁慶、静御前といった登場人物はお馴染みで
観客は説明がなくてもあらかじめ明確なイメージをもっていて
物語もそのイメージ通りに進行します。
前シテの哀切さと後シテのドラマティックな展開はわかりやすく
歌舞伎にも取り入れられているほどおもしろい。

ただ、これほどわかりやすい物語のなかに
ひとりだけイメージを裏切るように造形された人物がおり
この男の登場が、わかりやすい物語に不思議なわかりにくさをひき起します・・・




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華々しい軍功をあげながら、兄頼朝に疎まれて西へ下る決意をする義経。

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弁慶たちとともに淀川をくだり、摂津国尼崎大物で船出を待つばかり・・・

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これからの苦難を慮り、弁慶は静御前を都にかえすよう義経に進言・・・

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義経もこれを容れます。

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ここまでけなげについてきた静御前を労い、都に帰って時節を待てと義経は命じます・・・

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「おもいもよらぬおおせ」

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別れの酒盛りとなり・・・

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はじめは弁慶の策略かと疑っていた静御前も義経の足手まといになってはいけないと悟ります・・・

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次にお会いできるまで命を惜しむと涙を流す静御前・・・

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進言した弁慶ももらい泣き・・・

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静御前は、別れの哀しみを堪えながら舞を踊ります・・・

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頼朝の疑いが晴れることを願いながら・・・

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風が強いので出発を延期しようという義経。

これまで暴風をものともせず戦場へ赴いていた義経がそんなことをいい出すのは
静御前との名残を惜しんでのことだと推し量った弁慶は、船頭に強引に船出を命じます・・・

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船出してほどなく、六甲颪が吹き荒れ沖合に流されてゆきます・・・  

  「あら不思議や海上を見れば、西国に滅びし平家の一門」

悪逆の限りをつくして海に沈んだ平家一門。
たたりするのはあたりまえだろう、と義経は平然と端坐しています。

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そこへ現れたのは長刀をかたげた知盛の怨霊。
義経を海に沈めんが為現れたのだと、激しい舞を舞います。

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その姿は、壇ノ浦で、もはやこれまでと阿修羅のように暴れまわって死んだ教経にこそふさわしく
「いたく罪なつくり給いそ」・・・と教経を諌めた知盛のイメージにはそぐわないようにも思えます。

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壇ノ浦で一族が滅びるのを見届けた後

  「見るべき程の事をば見つ」

と従容と死につく、潔く肝の据った男が
怨霊となって仇なす・・・などということがあるでしょうか。

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めざましい戦いもなく、表には立たなかったものの、他の公達とはちがい
知盛の言動には終始重みがあり『平家物語』のなかで僕も好きな人物のひとりです。

目のまえで、自分を庇おうとした息子がそのために殺されたという痛恨事を
死ぬまえに告白するシーンがありますが、そこで語られるのは息子を殺された恨みではなく
それでもなお生き延びようとした自分自身・・・人間の浅ましさです。

そんな知盛がなぜ平家の怨念の象徴として召喚されたのでしょうか・・・?

教経ではなく、あえて知盛が選ばれたのはそれなりの理由があってのことでしょうけれど
見ていてもやっぱり釈然としません。

白洲正子のいうように(『謡曲 平家物語』)
世阿弥なら知盛を選ばなかったでしょうし、あるいはたんなるミスキャストだったのでしょうか・・・

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その時義経少しも騒がず、刀を抜いて亡霊と切り結びます。

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弁慶は怨霊に刀ではかなわぬと数珠を繰って経文を唱えると
そのおかげか怨霊となった知盛はいったん遠のくものの、また詰め寄っては双方厳しく鬩ぎ合います。
が、やがて知盛の怨霊は引き潮に引かれて遠ざかってゆきます・・・

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知盛の怨霊の出現から、終始脅えて蹲っていた船頭は芝居が終わって役者が退場しても気づかずそのまま。
舞台方に「もう終わったよ」と教えられて慌てて去っていく滑稽な姿が観客の笑いを誘います・・・


by dendoroubik | 2017-02-07 21:00 | ◆摂津の祭