2017年 02月 06日
大覚寺節分会 身振り狂言
かつて狂言が奉納されていたそうです。
同寺で発見された絵図には
天保11年におこなわれた奉納狂言の模様が描かれており
その後、途絶えてしまったのを惜しむ有志が集まって
京都壬生寺の指導の下、昭和28年の節分会から復活。
毎年「大覚寺身振り狂言」と称して上演されています。
昨年末から尼崎城天守閣の「再建」がすすんでいます。
某家電量販店の創業者の全額寄付によるものだそうです。
尼崎城は、大坂の陣後の1617年(元和3)幕府の命により
譜代大名の戸田氏鉄によって築城された近世城郭。
城下町の北西隅、武家屋敷の北側に集めて形成されたのが寺町。
城郭自体も、明治6年の廃城令により破却されてしまいましたが
寺町界隈だけが、まわりの商工業地帯からは隔絶されて
まるでそこだけ切り取られたように、城下町の面影を残す別世界・・・
尼崎藩の御祈祷所としての役割を担ってきたといいます。
ちなみに大物は、阪神電車で一駅大阪寄りです。
境内に「からくり堂」と呼ばれる建物があり
2階部分で機械じかけのからくりが上演されていました。
1階には、夫婦が芦を刈る人形が据えられています。
でも、なぜ『芦刈』が・・・?
『芦刈』の舞台「津の国の日下の里」がどこか不明なのだそうですが
尼崎・・・大覚寺のあった「大物」という説があるそうです。
京都の祇園祭の「芦刈山」のご神体の背後の松の梢に
三日月がかかっているのは、大覚寺の開基「月峯寺」を想起させる
・・・というような説明文が境内に掲げられていました。
なかから現れたのは、故あって別れたかつての妻。
妻は京へ上りさる高貴な人の若君の乳母となって出世しています。
能楽では、夫婦がめでたく再び結ばれ打ち揃って都へ向かいますが
このからくりは『芦刈』の原典『大和物語』を下敷きにしているのか
女は男に立派な着物を与え、去ってゆきます。
舌を抜かれたうえに釜茹でにされ、鬼に喰らわれた男が
憐れに思った地蔵菩薩によって救われる『閻魔庁』
節分の日の後家と鬼との智恵くらべ・・・やっぱり女が強かった(笑)
千人斬りを弁慶の所行とする、お馴染みの物語とはちがい
もとになった能楽の通り、牛若丸が大暴れをしている設定です。
嵯峨野にしかないのかと・・・
こちらの大覚寺、歴史はありますね~('-'*)
寺伝では推古朝の創建とありますので
嵯峨野の大覚寺よりも歴史があることになりますが
再興されたのが13世紀 17世紀に尼崎に移転
伽藍も明治に焼失して昭和の再建ですので
古寂びた趣きこそありませんが
寺町の風景は幕藩時代の風情を彷彿とさせるものがありました
はじめまして!
昨年に兵庫県に仮住まいをしてから
いままで目につかなかった行事へも
足が向くようになりました
おっしゃるように近松は尼崎とも縁が深く
10月には墓のある広済寺で「近松祭」があり
浄瑠璃人形による墓前供養や
子どもたちによる浄瑠璃の奉納がある
ということもこちらに来てはじめて知りました
入場制限のかかるほどの人気の壬生寺には
くらぶべくもありませんが
大覚寺の狂言も ほのぼのとした雰囲気のなかに
見ごたえのある演目揃いでとてもよかったです
コメントいただきましてありがとうございます!