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浪花の恋の物語

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今日、11月22日は近松門左衛門の命日です。




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歌舞伎にすっかり客を奪われて借金を重ねていた「竹本座」の竹本義太夫に泣きつかれた近松門左衛門。

歌舞伎作家としてノリにノッていた彼が敵対する人形浄瑠璃のために放った起死回生の一発は
歴史上の英雄や武将を主人公にしたそれまでの演目とはまったくちがう、名もなき男女の心中話。

『曽根崎心中』

シェークスピアから一世紀遅れて世に出たこの革命的作品は浪花で大ヒット。義太夫は借金を完済。
でも、近松門左衛門がおこした革命はこれだけではありません。

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浄瑠璃、歌舞伎作者としての盛名にもかかわらず、近松門左衛門の生涯にはあまりにも謎が多く
とくに御所勤めの後の20代前半から芝居を本格的に書き出す30代前半までの10年ほどは
「謎の空白」として、まったく触れられないことが多いようです。

余談ですが僕は「近松門左衛門」といえば
映画『浪花の恋の物語』で彼を演じていた片岡千恵蔵の顔がパッと浮かびます(笑)

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十数年まえに出版された『口伝解禁 近松門左衛門の真実』という本は
面白すぎて・・・これが「真実」だとしたら文学史どころか
日本史まで書き換えなければならないというくらいの驚天動地の内容でした。

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・・・と書くと、胡散臭い本と思われるかもしれません。

実際、学者たちはこの本を無視しているようですが
ヘタに反論すると、仮に真実だったことが明るみにでたとき
赤っ恥を掻くことになるので
たんにダンマリをキメこんでいるだけでしょうから
構わず、ちょっとこの本の内容を振り返ってみたいと思います・・・

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作者は近松門左衛門から九代目の子孫を称する近松洋男氏。

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近松門左衛門は福井藩士の次男(旧名 杉森信盛)として生まれ
事情があって禄を離れ浪人となった父の死後
12歳で、赤穂藩の御殿医を勤めていた近江の近松伊看の養子となります。
(この近松家は、現在も滋賀県野洲市に残る旧家です)

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浅野家は坂本城や大津城の城主だったこともあり
瀬田領主だった大石家や近松家が仕えることになったのも、同じ近江衆という縁だったといわれます。

大石家と親しかった近松家に養子入りした門左衛門は
庶流とはいえ近衛家と姻戚関係にあった大石家の推挙で
御所内一条恵観公に公家侍として二十歳まで仕えることになります。

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御所勤めのこの時代に、古典文学の素養を身につけ
さらに浄瑠璃などの芸能へと傾斜していったともいわれます。
また、禁裏の苦しい財政事情も目の当たりにすることになり
その窮状を影で支えていたのが赤穂と長州の両藩であることも知ります。

五万三千石の小藩にすぎなかった赤穂藩が
禁裏の財政を支えることができたのは、赤穂塩の莫大な収益によります。

一条恵観公の逝去を機に、門左衛門は御所勤めを辞し
赤穂藩国家老大石良雄の薦めで赤穂塩の販路を拡げる事業に従事することになります。

三十一歳までのこのおよそ10年間が、門左衛門の年表の「謎の空白」です。

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この本でいちばんおもしろいのはこの10年間です。

元御所侍としての人脈と知識を駆使して塩の販路のネットワークを完成させただけでなく
長州を中心にして日本海側の港を渡り歩き
当時としては御禁制の塩貿易ルート開発まで画策していたというから驚きです。

鎖国で逃げそびれたスペイン人やポルトガル人とも交わり
「スペインルネッサンス詩劇」にも通じて
これがいままでの浄瑠璃になかった五段構成に結実した・・・とも。

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たしかに『国姓爺合戦』のあのスケール感は
書物から得た知識や空想の域を越えた緊迫感をもっています。

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この本のもうひとつの白眉は「赤穂義士」との関係を描いた件りです。

門左衛門の養子入りした近松伊看には
山鹿流師範医師として赤穂藩に仕える小右衛門行正という息子がおり、その子が近松勘六行重。

門左衛門の義甥にあたります。

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勘六には貞右衛行高という腹違いの弟がおり
奥田孫大夫の養子となっています。 ご存じの通り、この三人は四十七士。

門左衛門は、我が子のように可愛がっていた勘六がいよいよ討ち入りで江戸へ向かうとき
遺児となる勘六の長男と長女を引き取り累が及ぶことを防ぐために戸籍を消して
大津に米塩卸屋を持たせた・・・と、この本にはあります。

表向きは天皇を立てながらも、その勢力をなし崩しにし
さらに赤穂の製塩技術を奪取して専売制を確立しようとした
吉良上野介を中心とする幕府方のたくらみこそ
「赤穂事件」の内実に他ならないことは今日の常識ですが
当時は、わかっていてもそんなことは口が裂けても言えない。

大石とも親しく、皇室のために赤穂塩の販路拡大に尽力し
四十七士の近親者でもあった門左衛門にとって
この事件は決して他人事ではなかったはずで
彼の激しい怒りと悲哀は『碁盤太平記』に表されています。

東へ下るまえに母と祖母に暇乞いをしようとする長子、力弥(主税)の未練がましさを
「うつけ者めが!」と叱責する由良之介(内蔵之助)が
しかし、燈火を消した夢かうつつかわからぬ闇のなかで妻と母に今生の別れを告げるシーンはやはり美しい・・・

詳しい文学史は知りませんが
「忠臣蔵」をたんなる復讐劇から人間ドラマへ昇華させたのはこの作品からでしょう。
それは当事者のひとりだった門左衛門だからこそなしえたことといえるかもしれません。

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ちょっとデキすぎた話なので、やっぱり眉唾でしょうか・・・?

どこまでが史実なのか、僕には判断しかねますが
たえず虐げられた人々の視線から描かれた彼の作品から遡ってこの話を味わってみると
まったく何の矛盾もないどころかむしろ、こんな人生であったればこそ
生まれ出た作品であったようにすら思えてきます。

  「虚にして虚にあらず、実にして実にあらず」

彼の生涯は、その作品と同様に虚実皮膜の間にあるようです・・・

(大阪市「お初天神)/尼崎市「広済寺」)

by dendoroubik | 2016-11-22 11:59 | 番外編 | Trackback | Comments(0)