がんがら火

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毎年8月24日、大阪府池田市でおこなわれる「がんがら火」という奇妙な名を持つ祭りを見ました。

池田を見下ろす五月山の山頂に鎮座する「愛宕神社」
こちらの神火より採られた2本の小松明が麓まで担ぎおろされ
4本2基の大松明にその神火が遷されて市街地を練り歩く・・・というのが行事のあらましです。

「がんがら」というのは、練り歩きのときに打ち鳴らされる鉦と半鐘の音に由来するようです・・・





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五月山中腹(標高145m)の秀望台。 その名に恥じず、ここからの眺望はすばらしい。

猪名川沿いの池田の市街地とその向こうには川西、宝塚方面
左手の木々の合間には大阪の高層ビル群も見晴るかすことができ
上空には大阪空港を発着するジェット機が行き交います。

斜面に立てられている鉄パイプと鍋、そのうえに乗せられた割り木は
この夜、点火されて、五山の送り火のように「大一」の火文字を描き出すためのものです。
火文字はもうひとつあって大明ヶ原に「大」の文字が浮かびあがります。

この春に池田の酒蔵めぐりをした際に阪急の駅前の書店で
『北摂池田 がんがら火』(中岡嘉弘氏編著)という本を購入しました。

池田市近辺以外ではそれほどの知名度がないこの祭りのスケジュールや由来にとどまらず
当事者以外は知りえないウラ話なんかも書かれていてとても興味深い本でした。

この本によるとこの篝火につかわれるのは
黒松の中でも特にヤニを多く含んだ「肥松」と呼ばれる松の割り木。
この入手も、現在は困難を極めているそうです。

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秀望台から五月山山頂の愛宕神社までは徒歩で10分ほど。
日も暮れようとする夕刻、捩じり鉢巻、紺の腹巻に股引、地下足袋姿の男衆が境内に参集。

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祭典のあと、本殿から神火から火鉢に遷されます。

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火ダネが燃えあがると、塩、酒で浄められた2本の小松明が左右から炎にかざして神火が遷されます。

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子ども二人が担ぎ打ち鳴らす鉦に先導され「御幣持ち(しんもち)」を先頭に小松明が愛宕神社を出立します。

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ほどなく秀望台に到着。

「大一」の火文字のタネ火となる篝火に火が遷されたあと
小松明は燃えすぎないように水をかけて調整されます。
小休止してすぐに出発し、ドライブウエイをくだってゆきます。

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この祭りの興りはとてもユニークです。

池田は、猪名川を挟んだ伊丹と同じく灘よりも早く清酒の醸造で栄えた町。
正保元年(1644)4人の小酒造業者が五月山山上で火を灯し箱を竹に立てて

  「池田に愛宕火が飛来した!」

・・・というデマを流したところ近在の善男善女が競って参集。
火除けの護符を配札して大いに繁盛していたところ京都愛宕神社からクレームがつき
京都所司代にはたらいて護符はNGで火祭りだけつづけるという和解が成立します。

五月山の「大」「大一」の火文字がいつはじまったのかはわからないそうですが
19世紀はじめ頃の文献には見られおそらく化政年間に
京の「五山の送り火」の影響を受けて変更されたというふうにいわれています。

大松明の練り歩きが加わったのは、さらに時代が下って昭和3年・・・

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ドライブウエイの料金所ゲートを抜けた小松明は動物園の脇で小休止したあと住宅地へつづく階段を
選ばれたひとりの青年に担がれて一気に下りさらに大松明の待つ場所まで坂道を駆け降りてゆきます。

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小松明から大松明に神火が遷されるこのあたりから見物人と警察官の数が増え、身動きができないほど・・・

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点火された大松明は、水で火加減を調整され刺又をあてがわれながら垂直に立てれます。

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2本が立てられると、あたりからは喝采がおこります・・・

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大松明は先を合わせて「人」の字をつくりながら地面を引き摺って練り歩きます。

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谷崎潤一郎も愛飲し、桂枝雀をして「酒は呉春しか飲まない」
・・・といわしめた「呉春酒造」の黒壁をすり抜けるあたりは
とても艶めかしくスリリング。 見どころのひとつでしょう。

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重さ100キログラム長さ4メートルの大松明を
不安定な態勢を保ちながらの練り歩きですので一度にすすめる距離は限られています。
寝かせて火力を調整しながらじわじわとすすみます。

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がんがら火が盛りあがりをみせはじめたころ
ふと目をあげると大明ヶ原の「大」の火文字が宵闇に妖しく浮かびあがっています。
(「大一」の方は見逃してしまいました)

「大」と「大一」の火文字は同時刻に点火され
先に記したように起源は同根なのでしょうけれど
実はこちらは「がんがら火」(城山町)とは別の行事。
京都の愛宕神社から貰い受けた神火で燈し
子どもたちの松明行列で「呉服伝説」の伝わる「星の宮」に奉納されます。(建石町)

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以前は「がんがら火」と「猪名川花火大会」が同日におこなわれていたそうですが
諸事情により、花火大会は第三土曜に変更。
祭りの方が8月24日という日に拘っておこなわれるのは
「火之迦具槌神」とその本地仏である地蔵菩薩を祀るものだからで
縁日8月24日に地蔵盆とともにおこなわれています。

おおむね大阪は、京都や滋賀ほど地蔵盆の風習が根強く残ってはいませんが
やはりこの日は辻辻のお地蔵さんに献灯の提灯が吊るされていました・・・

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先の本によると、京都愛宕社の行者は天台宗聖護院本山派、池田愛宕社の行者は真言宗醍醐寺派。
池田では主に前者が立石町、後者が城山町に居住しており
正保の「事件」も、行者同士の抗争が根底にあるのではないか、と述べられています。
現在は「がんがら火」の元火をおこす「大護摩焚き」という行事には両派の山伏が参加するそうですが
「がんがら火」が城山町(と呉服)の人々によっておこなわれ
建石町では京都から神火をいただいた「大」の火文字と子ども松明行列をおこなっているのも
350年以上まえの、そんな背景があるからなのでしょうか・・・

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大きな通りに出ると、沿道は見物人で埋めつくされていました。

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このあと午後10時頃、最終地点で4つの大松明はひとつに組まれ
クライマックスを迎え、その後、お旅所2ケ所の地蔵尊に神火を納めて鎮火。

すべての行事が終了します・・・

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Commented by ei5184 at 2016-08-30 19:12
がんがら火祭り、毎年訪ねていましたが、
今年は事情でパスしていました。但し私は毎年池田市庁舎で待っていますか゛(笑)
がんがらが到着するまで、昨年は太鼓演奏に酔い、
数年前は箕面の可愛い子供たちによるサンバが!
余談ですがそのサンバグループは今やプロとして活躍中です。
そしてご存知ですか、フォークデュエットのシモンズ!
その一人、田中ユミさんは池田の住人で、現在も地元でご活躍ですが、
がんがら火祭りで久々お会いして懐かしいお話しを(笑)
来年は又撮影に行く積りですが・・・
Commented by dendoroubik at 2016-08-30 23:36
☆eiさん

シモンズ ギリギリ知ってます(笑)
お二人とも大阪のご出身とは存じておりましたが
そうですか 池田にお住まいなんですね

がんがら火は花火大会とは切り離されましたが
市民フェスと同時開催になったんですね
今回は初めてでしたので五月山から見てみましたが
次回はそちらも覗いてみたいと思います
駅前に屋台も出てましたのでそちらで呑んで帰りました(笑)

しかし伊丹から池田までは車ではすぐなのに
阪急だと十三からぐるっとまわってけっこうかかりますね(^o^;
by dendoroubik | 2016-08-30 17:55 | ◆摂津の祭 | Trackback | Comments(2)