2016年 07月 22日
野田恵美須神社夏祭
昔ながらの商店街や路地へ入ると長屋が残っていたり
駅を中心として下町らしいこの町で7月19日、20日に
地車(だんじり)と枕太鼓が巡行し商売繁盛のえべっさんに因んだ
鯛鉾です。 本殿まえに据えられたあと四隅に青龍、朱雀、白虎、玄武の四神の旗が飾られます。
いちばん最初に宮出します。
野田恵美須神社の創建は不詳。
一説には永久三乙未年、1115年と推定され
淀川の堆積土砂によって陸化するまえの「難波八十島」といわる島々が点在していた頃
この地に住みついた半農半漁民が守り神として夷大神を祀ったのがはじまりともいわれます。
鯛鉾の下段には囃子方。 後ろに三味線の女性ふたりと前には太鼓の女の子3人。
つづいて枕太鼓。
よいしょーよいしょー
昼過ぎ宮出したあと、鯛鉾、枕太鼓、地車は半日かけて野田の町を巡行してゆきます。
宮入りするのは日が暮れてから。
JR野田駅まえで3つが交錯したりしますがそれぞれちがうルートを巡行し移動距離も異なります。
鯛鉾、枕太鼓、地車の女の子たちは巡行には随行せず、5、6人に分かれて祝儀集めをします。
打-ちまひょ
もひとつせ
祝うて三度
めでたいなあ
祝儀をいただいたお宅では手打ち(大阪締め)
さいごは地車。
かつては野田の4つの地域がそれぞれ地車を有していたそうですが老朽化により大正時代に廃絶。
戦前に4つの地域が協力してつくったのがこのだんじり。 だんじりを曳く人がすごく多いのはそのためでしょうか。
この地車の見事な彫刻は富山県井波の彫刻師川原啓秀氏の作品。
現在も彫刻の町と知られる井波で獅子舞の獅子頭がよく彫られているのは知っていましたが
大阪や兵庫の車山の彫刻にも井波彫刻の流れがあるのですね。
そういえば富山県に単身赴任中、真宗大谷派井波別院瑞泉寺へ行き本堂や太子堂の豪華な彫刻を見て
「まるでだんじりみたいなお寺!」
・・・と感じたのを思い出しました(笑)本堂蟇股の龍も川原啓秀氏の作品です。
梅雨明けの空に地車・・・シビレますね!
大正の半ばから昭和のはじめにかけて地車なしの祭りにモノ足りなさを感じた人々が
なんとか復活させようとされた気持ち わかります。
枕太鼓と地車がすれちがうときも手打ち(大阪締め)
用事があってはじめての野田恵美須神社夏祭はここまで。
夜の宮入やすずめ踊りはまた来年・・・
打-ちまひょ
もひとつせ 祝うて三度
めで鯛なあ
しかし 真夏の日中撮影は私にはもう限界が来ているようです!
三人の女の子たち・・・こう云うシーンを見ると
出掛けたい気持ちはありますが、体力が・・・(泣)
天神祭りもほぼ20年近く撮影してきていますが、
どうやら今年はもう無理かも知れません?
穴場といえば穴場かもしれません
夜は境内に多くの見物客が集まるみたいですけれど
巡行を追いかける人はまずいませんでした
しかし鯛鉾に枕太鼓 だんじりと見ごたえのあるい祭りでした
大阪の祭りには あまり馴染みがないのですが
見ているとやはり血が騒ぎますね
大阪の血が半分入っている(母親)からでしょうか(笑)
去年おととしの eiさんの天神祭のお写真も拝見しました
今年は陸渡御だけ 少し覗いてみようかと思っています