2016年 07月 17日
浅小井祇園祭 宵宮
びわ湖最大の内湖、西の湖の南に
浅小井という200戸ほどの農村があり
7月の第三土日「浅小井祇園祭」がおこなわれます。
日曜の本宮には豪華な6基の曳山が、集落内を巡行。
土曜の宵宮では、今宮天満宮鳥居まえで
夕刻、6基の笠松明が順次、奉火されてゆきます・・・
6基の曳山は、現在 郷土文化施設
「曳山とイ草の館」に収蔵されています。
かつては各町の山蔵に保管されていたそうで
集落内を歩いていると、土壁にトタンの扉のついた
山蔵をいくつか見ることができました。
本宮の朝に会館から曳き出され
干支やその年の話題の飾りもの(ダシ)が施されます。
どうして、こんな小さな農村集落に
6基もの豪華な曳山があるのでしょうか・・・?
浅小井は、古来、イ草の一大産地で
近江八幡の大商人、西川家や伴家が活躍した時代には
こちらで生産されたイ草と畳表は大量に買付けられ
村は大いに潤ったといわれます。
近在の村で百姓一揆などが打ちつづくなかでさえ
領主への年貢や上納銀も皆済してしまうほどの勢い。
寛文十年(1670)津島明神を勧請し
おこなわれるようになったのが、この祭りです。
ちなみに、大正、昭和天皇の大嘗祭の畳表も
浅小井から献上されていたそうです。
今宮天満宮の鳥居まえに6基の笠松明・・・
近江八幡各地では、3月から5月にかけての春祭りで
大小200基の松明が奉火されていますが
7月の祭りで松明が結われるのは珍しいですね。
ここだけかと思ったら、現地でたまたまお会いした
「日吉山王祭 山を駆け湖を渡る神輿たち 」の著者山口幸次氏によると
今宮天満宮の数百メートル東に鎮座する熊野神社でも
同日、2基の松明の奉火があるのだそうです。
午後8時、鉦と太鼓を打ち鳴らしながらやってきた
6つの町衆が今宮天満宮摂社津島神社を一周。
宮入りが済むと、津島神社の神火より採られた火が
子ども松明に移されます。
子どもたちが持ち寄った松明が、
つぎつぎに炎のなかへ投げ込まれてゆきます。
すべての子ども松明が燃えあがると、
ひとりの男性が手にした菜種殻(?)に火を移し
やにわに駆け出して松明の下へ・・・
松明の先端から地面へ張り渡したロープのひとつに
その火が移されると、導火線のようにみるみる引火し
笠の上部がパッと燃えあがってゆきます。
菜種殻が先についた長い棒で火を採り
笠より下の松明の胴へ移され、全体が火に包まれます。
2基目の松明には花火がしかけられていました。
色とりどりの花火・・・
ここまでの展開は、息もつかせぬ臨場感に溢れていました。
そして、ここから先の炎の競演は圧巻。
近江八幡の松明まつりは、
いずれも千年を越える歴史を有するといわれます。
浅小井祇園祭りは350年ほどまえにはじまったとされていますが
宵宮で奉火される松明行事はそれ以前からあったのでしょうか・・・?
想像力を掻き立てられ熱狂を巻き起こす行事・・・
松明の奉火を眺めていると
何の根拠もないのですけれど
宵宮でおこなわれるこの松明行事の方が
もともとはメインだったのではないか
・・・と思えるほど圧倒的な迫力があります。
最後の松明に点火・・・
わずか1時間足らずの熱狂・・・