2016年 04月 27日
長浜曳山まつり 2016 その5 妹背山婦女庭訓 三笠山御殿の場
3年まえの米原曳山まつりではじめて見ましたが、振付はそのときと同じ川村和彦氏。
⇒米原曳山まつり 2013 その4 壽山組①
⇒米原曳山まつり 2013 その5 壽山組②
見ているだけでわからない、というややこしい物語なので
まず舞台方からあらすじの紹介があります・・・が、これを聞いてもわからない(笑)
淡海と入鹿の娘、橘姫と杉酒屋の娘、お三輪との三角関係をヨコ糸に物語が紡がれるのですが
爪黒の鹿の血と「凝着の相」(嫉妬に狂った顔)をした女の生き血を混ぜたもの
そして、そのために殺された女が、愛する男のために死ぬことを喜ぶ
という心情も、どうにも共感できません。
哀切に涙をしぼられることも、メデタシメデタシと胸を撫で下ろすこともできません。
お三輪は愛しい求女(実は藤原淡海)に括りつけた糸が途中で切れて迷いながらも御殿にたどりつきます。
通りかかった豆腐買いの女中から、求女と、恋敵、橘姫との祝言がおこなわれると聞き、お三輪は悋気に燃えあがります。
女中、おむらを演じるのは5歳の男の子。ギャラリーからの歓声に、ニヤリと笑ったりするところが愛くるしい。
ちなみに、藤原淡海と結婚する橘姫も、政敵同士であることを知っていったんは討たれる覚悟をし
入鹿が藤原家から奪った三種の神器のひとつを奪い返すことを条件に妻となるわけですから
あまり幸福とはいえません・・・が、お三輪はそのことを知りません。
さんざんに嬲られるお三輪。
お三輪が官女たちに甚振られるシーンが、芝居のほとんどを占めるような印象をもつほど、このイジメが執拗に繰り返されます。
心傷つき帰ろうとするお三輪の耳に「三国一の婿とりすました」と、花嫁花婿をはやす声が聞こえてきます。
いきなりお三輪の脇腹を刀で刺します。
女悦べ。
入鹿を滅ぼす術の一つ
求女の本当の正体は藤原淡海。鱶七は淡海の家来の金輪五郎。
お前は嫉妬に狂った顔をしているから不憫ながらも切ったのだ。
その生血を笛に注ぎ、吹けば、愛する淡海さまを勝利に導くとこになるのだ。
りっぱな働きをしたお前は、やはり淡海さまの奥方にふさわしい娘。
よかったな! 出かしたな!
知らない男からいきなり切りつけられて、そんな突拍子のないことを説かれても、誰が信用するものかとも思うのですけれど(笑)
あなたのお為になる事なら死んでも嬉しい忝い。
たとへこの世は縁薄くと未来は添ふて給はれ。
そして苧環を手にすると"この主様には逢はれぬか、
どうぞ尋ねて求女さま。
もう目が見えぬ、懐しい恋し・・・
自分の死が愛する求女の手柄になる、とお三輪は喜びながら苧環を抱いて息絶えるのです。
思えば、淡海とお三輪は身分ちがいの恋なので、現世で結ばれることはなかったのですけれど・・・
涙も共感も誘われることはありませんでしたが、とても不思議な余韻だけがの残ります・・・
視覚的な美しさと、子ども役者たちのすばらしい熱演のためでしょうか。
ありがとうございました♥
これだけ有名な話なのに、実は私はこれを見たことが無いんです(←そもそも妹背山をどの話も見たことがありません・汗)
ストーリーは知ってるけど、、、ぎちゃくの相とか「なんじゃそりゃー!!!」ですよね(笑)。
女官にさんざん虐められた上にいきなり刺されて「よろこべっ!」っつわれて喜べるかぁーっ!!!って、文字だけだと絶対なるんですけど、
そんな理不尽で意味が分からん話でも、そこに役者が加わると、不思議と「あ~、、、芝居見たなあ」って充実感みたいな余韻を感じてしまうんだと思います。
長浜で以前、「弁慶上使」を初めて見たときもストーリーは「これは無いわ~」って思ってたんですけど、子供たちの熱演が加わって、不思議な感覚になりました(笑)。
おつき合いいただきまして ありがとうございます
「女よろこべ!」のセリフに
僕の後ろで見ていた女性が「それはないわ」と呟いてました(笑)
先日 橋本治の「義太夫を聞こう」という本を読んでいると
「山の段」の写真を見て なんてキレイなんだ!
と歌舞伎を見に行ったら 延々とそのキレイな画面がつづき
退屈で眠ってしまった・・・とありました(笑)
そんな風に感性がハジキ返されたら もう入口はないですけれど
心理的には理解できなくても
感性が許してしまうというのはありますよね
これなんて 心理的にも道徳的にも
決して容認できない話なのに不思議と魅惑されてしまうんですね