2015年 10月 15日
大津祭 2015 宵宮
ふだんは午後7時すぎともなると、駅前ですら人影が疎らになり
いったいここはホントに県庁所在地なのかと訝しく思えるほど閑散とした大津市街。
でも、この日だけは・・・
ピーヒャラ ピーヒャラ
心浮き立つお囃子と、紅い大吊(提灯)、絢爛豪華な曳山と、その装飾品
そしてなによりも町衆の心意気が
「大津百町」
・・・と呼ばれた往時の姿を甦らせるかのような美しくも幻想的な情景を描き出してゆきます。
大津祭の宵宮です・・・
改めて歩いてみると、大津の町には、提灯とか簾、和蝋燭などを専門に扱う店も多く歴史の奥行を感じます。
町を東西に貫く三つの通り、南から京町通、中町通、浜通が宵宮の舞台。
月宮殿山、源氏山、郭巨山、西行桜狸山の4基が並ぶ、旧東海道、京町通りは
大吊の紅色ががひときわ艶やかな通りです。
上京町の月宮殿山は1776年の創建。
ネーミングは謡曲の鶴亀(月宮殿)から。
中京町の源氏山(紫式部山)は1718年の創建。
本祭の巡行では、13基すべての曳山上で、「所望」と呼ばれるからくり披露がおこなわれます。
源氏山の「所望」では、紫式部が月を見ながら源氏物語の構想を練るさまが描かれます。
紫式部のまわりを御所車や小人形、風景などが現れては消えてゆく・・・というものです。
後在家町・下小唐崎町の郭巨山(かっきょやま)は1693年の創建。
唯一の「くじ取らず」で毎年先頭で巡行する、鍛冶屋町の西行桜狸山(1635年創建)
桜の木の中から桜の精が現れて西行法師と問答する・・・という所望。
タヌキの剥製(?)は、曳山の天辺に据えられます。
猟師町の神功皇后山は1749年の創建。
太間町の龍門滝山(りゅうもんたきやま)は1717年の創建。 ネーミングは登竜門の故事から。
所望で龍門の滝を躍りあがる木製の鯉。
それ以上にインパクトがあるのは、宵宮のお供えの、ピクピク動く生きた鯉・・・
白玉町の西宮蛭子山は1658年の創建。
蛭子が鯛を釣り上げ、太郎冠者の魚籠に入れる・・・という所望。
南保町の猩々山は1637年の創建。
高風が酌んだ酒を、猩々が大盃で飲むと顔が赤くなる・・・という所望。 仕掛けはこんな感じです⇒猩々
ネーミングは能楽の猩々から。
ねりものからはじまったとされる大津祭。
最盛期の曳山14基が出揃うまでには、140年ほどの年月を要したそうですけれど
明治5年にねりものの巡行がなくなるまで
文化7年(1810)の墨書のある、この張子の布袋さんは、唯一残るねりもの。
祭の両日、町内に飾られています。
柳町の殺生石山(せっしょうせきざん)は1662年創建。
丸屋町の西王母山(せいおうぼざん)は1656年の創建。
堅田町の神楽山は、明治初年に町内の財政逼迫から、売却。
祭の両日、残されたからくり人形と、幕類が町内に飾られています。
琴の演奏がありました。
ジャズセッションのような中堀町( 孔明祈水山)
の宵宮のお囃子・・・タイミングが合わず、今年は聞きのがしてしまいました・・・
ジャズ・・・といえば、大津祭の翌週には、毎年「大津ジャズフェスティバル」が開催されます。
中堀町の商店の軒先で、いい感じのジャズライブがありました。
灯が入った頃には都合で帰りましたので、
この様な着物姿のご婦人には お目に掛りませんでした(笑)
こちらの曳山は 三輪なんですよね、 回転がし易い様にでしょうか?
和装のご婦人は 宵宮の茶席の接待をされている方々なので
灯が入った頃でないとお見えになりません(笑)
おっしゃるように 三輪の曳山は狭い路地で
旋回しやすいように工夫されたものだそうで
そういえば 狭い路地を巡行する曳山は
各所で三輪の曳山をよく見かけますね
先日の桑名の石取祭の「祭車」も三輪でした