2015年 10月 06日
伊吹山奉納太鼓踊り 前篇
伊吹山麓に分布する、雨乞いとその返礼の太鼓踊りのひとつで、昭和22年に途絶。
昭和42年に返礼の踊りが復活し、以降、5年おきにおこなわれているものです。
農村部にしては、有料の駐車場がヤケに多いのは、「日本百名山」のひとつ、伊吹山の登山口があるため。
太鼓踊りが奉納される三之宮神社は、登山口のすぐ脇に鎮座します。
といいますか、 伊吹山頂の一之宮、中腹の二之宮につづく三之宮に当り
もともと霊峰伊吹山を遥拝する場所なのでしょう。
山岳信仰の盛んだった中世には、この神社が伊吹山修行の「一の宿」とされていました。
天応元(781)年の創祀と伝えられ、祭神は大山咋神、玉依姫命、大國主命。
上野地区では、干ばつが続つづくと、伊吹山を仰ぐ三之宮神社に集まり
早朝から夕暮れまで雨乞いを祈願したといいます。
干ばつがあまりに酷いときには、氏子たちは伊吹山頂上に参集し
弥勒堂まえで、お火焚(「千束焚き」)をしたということです。
氏子たちは千束焚きのまわりで雨乞いの踊りをし、松明にその火を移して持ち帰ったと伝えられます。
午前中より、参列者が三々五々、公民館に集合し、正午、号砲を合図にスタートです。
行列は、幡を先頭に、区長、大松明、笛・・・
役太鼓、鉦、音頭、太鼓、ふくべ振りとつづきます。
公民館から三之宮神社までは、わずか150メートルほど。
「よーい、そーりゃ」
の合いの手が入るたびに、1歩だけ前進。1時間かけで、ゆっくりと行進してゆきます。
よーい、そーりゃ
よーい、そーりゃ
秋晴れの下、太鼓と鉦の響きが心地よく響き渡ります。
境内に練り込んだあと、そのまま太鼓踊りがつづけられます。
子どもたちも、6月から2ケ月以上かけて、練習をしてきたとの解説が会場でありました。
これまで太鼓打ちは小学3年生以上でしたが、今回から小学校1年生も参加していたようです。
背格好から、この子かな・・・と思いながら眺めていましたけれど
いずれの子も巧みにバチを操って踊り、上級生にくらべても、遜色はありませんでした。
踊り手不足を補う意味もあるのでしょうが、1年生だと、6年生でも、もう一度踊れますね。
小学生だけ、大人とはちがう踊りを舞うパートがありますので、2回踊れるというのは、伝承する上でも貴重なことですね。
それも5年に1度のことですけれど・・・
ひと踊りのあと、いったん休憩です。
5年に一度ですか! 来年撮りには行けないのですね(笑)
最後のお二人は5年後は果たして・・・
昨年はこの近くの春照(すいじょう)というところで
同じく5年に1度の太鼓踊りがおこなわれていました
これも4年待たなければなりませんが・・・
米原では毎年 太鼓踊りをおこなっているところもありますので
機会がありましたら ぜひ ご覧くださいませ
いちばん最後の写真のお二人の
次回の参加も気になるところですが・・・
この写真を撮っているマヌケな姿を
同行のカメラマンに激写されてしまいました(笑)
祭りの最中にも拘らず米原駅までお送りいただき感謝しております。
数年前の朝日豊年太鼓踊り、昨年の春照太鼓踊り、今回の伊吹山奉納太鼓踊り
過去の記事も拝見しましたが、いずれの祭りも秋空の下で巧く撮影してみえますね。
湖北の秋祭りは素朴さと季節の移ろいを感じ取ることができ楽しめました。
5年前はあまり天気がよくなく
夜の「笠破り」も中止になったようですが
今回は祭りの始まりとともに絶好のお祭り日和
気持ちのいい1日でしたね~~
まさかtoraさんがお越しとは予想だにせず
声をかけられても まったくピンときませんでした(笑)
今日は米原曳山まつり・・・
またまたよろしくお願いします