2014年 12月 02日
なまはげ
東北遠征最終日。 夕方まで秋田市街で、竿燈の競技会を見るつもりでしたが、
あいにく前夜からの雨があがらず、予定を変更して、レンタカーで男鹿半島へ向かいます。
もちろん「ナマハゲ」を見るためです。
「なまはげ館」と、隣接する「男鹿真山伝承館」を見学する・・・というだけのことですが(笑)
ナマハゲ彫師、石川千秋氏の手彫り実演。
男鹿市内各地で実際に使われていた100体を越すナマハゲがスラリ・・・壮観です。
本来、大晦日の晩に民家に現れるにすぎず祭りのように多くの見物客を集めるわけでもない民俗行事が、
なぜこれほどまでに有名になったのでしょうか?
小学生の頃には、もう「ナマハゲ」は、たしか教科書で見た同じ秋田の「かまくら」と同じく
同年代の子供たちに、淡い憧れを共有させる存在でした。
きっとナマハゲには、日本人の想像力を刺激する何かがあるんでしょうね。
秋田市内にも「ヤマハゲ」、能代市にも「ナゴメハギ」と呼ばれる行事が伝わっているからです。
分布の集中度では秋田が圧倒的ですが、福井までの日本海側にも、同様の行事が伝わっています。
山形県(遊佐町のアマハゲ)、新潟県村上市、能登半島(アマメハギ)語源は異なりますが、福井県の「アッポッシャ」など。
囲炉裏に長時間あたっていると手足にできる低温火傷を
「ナモミ」「アマ」などと呼び、怠惰の証しとされています。
これを剥がして怠け者を戒めることから「ナモミ剥ぎ」「アマメ剥ぎ」
・・・というのが語源と言われています。
なによりナマハゲは、人間の怠惰を戒める人間ならざるもの・・・
福井の「アッポッシャ」は「あっぽ(餅)欲しや」の転訛とされていますので、
系統が少しちがうかもしれません。
「なまはげ館」に隣接する、茅葺屋根の「男鹿真山伝承館」。
男鹿地方の典型的な曲家(まがりや)民家。
こちらで「なまはげ」の実演(?)を見ることができます。
真山のナマハゲには角がありません。(神の使いだから・・・という説明がありました)
「先立(さきだち)」と呼ばれる男性が、ナマハゲを家へ入れてもいいか・・・と当主に確認します。
OKの合図があると、戸をけたたましく叩きながら
家に上がると、すぐに四股を踏み、
「ナマケモノはいないか!」と叫びながら、家じゅうを探し回ります。
当主が荒れ狂うナマハゲをなだめ、お膳を添えて丁重にもてなします。
ここでナマハゲと当主との問答がはじまります。
「今年の酒の出来はどうだ?」
「おかげさまで最高の出来栄えです」
「どれどれ・・・おーっ、確かにうめー!」
・・・というような感じです。
家族の様子を聞かれた当主は、孫は行儀がよくて勉強熱心
嫁は働き者で、文句のつけようがない・・・と答えるのですが
ナマハゲは1年じゅう、山の上から村人の行状を逐一監視し、
「ナマハゲ帳」なるノートに記録しており、当主のまえでそれを読み上げます。
孫は勉強すると見せかけて、部屋でゲームばかりしているし
嫁は夜な夜な家を抜け出して、近所の奥さんたちとカラオケ三昧(笑)
篤実そうなご当主の語り口調が、逆に見物人の笑いを誘います。名演です。
ナマハゲは来年も豊作であるよう祈り、また来るぞ・・・と去ってゆきます。
「男鹿真山伝承館」から少し山道を登ったところに鎮座する、真山神社へ参拝。
杉木立に囲まれた境内は森厳とした雰囲気に包まれていました。
毎年2月に「なまはげ柴灯まつり」が行われる、ナマハゲの聖地・・・とでもいうべき場所です。
いよいよ帰る時間が迫ってきました。
遅めの昼ご飯を食べたり、みやげものを買ったりしてホームへ向かうと、
新幹線のコンコースで秋田民謡を演っていました。
来春開通の北陸新幹線でも、八尾の風の盆とか、加賀鳶による歓迎なんかがあるのでしょうか。
関西方面に住む者には、関係ありませんが・・・
到着した観光客へ向けて披露されていたのでしょうが、見ているうちに、帰りたくなくなったものです(笑)
みやげものなどを、なんとか鞄の中に押し込め、もうこれ以上は荷物を増やすまいと
最後に、新幹線のなかで食べる弁当とビールを買うと、クジを引けと言われ
断ればよかったのですが・・・何気なく引くと、
スポーツドリンクの2.0Lのペットボトルが当ってしまいました(笑)
どうにも収まり切らず、半分ほどペットボトルの首を出した鞄を負いながらの帰り道。
2.0Lリットル分だけ、余分な重荷に感じたのは気のせいでしょうか・・・