2014年 09月 26日
城端むぎや祭 2014 その2
街並み踊り会場のひとつ「出丸坂会場」があります。
他の会場のような由緒ある建造物はありませんが、
幔幕の向こうに、五箇山へ至る山並みが望める、スケール感に溢れたいい会場です。
四葉会さんと出丸町さんの演舞を拝見しました。
こきりこの竹は七寸五分じゃ
長いは袖のカナカイじゃ
まどのサンサもデデレコデン
はれのサンサもデデレコデン
四葉会さんによる、ご存知「こきりこ節」
現存する民謡で最古のものといわれ、音楽の授業で習った記憶のある方も多いのでは?
富山県出身の大学のサークルの先輩は酔うと必ず この歌か日本海みそのCMソングを歌ってましたっけ(笑)
心中話をしている男女が蜂に刺され
あまりの痛さに「死ぬかと思った」というナンセンスな歌です(笑)
人差し指で蜂の刺す仕草をしながら
踊るところが多いのですが、四葉会さんは赤いタスキで踊るのが印象的です。
五箇山は民謡の宝庫ですね。
2年まえにも見せていただきましたが、四葉会さんの「お小夜節」とても好きです。
お小夜というのは、輪島生まれの女性の名。
金沢に遊女として身売りされた彼女は、ある事件がきっかけで
やがて、五箇山の青年と恋仲になり身ごもってしまったお小夜は
まわりに非が及ぶことを恐れ、庄川に身を投げ、自ら命を絶った
・・・という悲しいお話が伝わっています。
史実かどうかはわかりませんが、五箇山民謡には輪島から伝わった唄も多く
こういった運命を辿った女性が幾人かいて、輪島の唄や楽器を教えた
ということもあったかもしれないですね・・・。
心細いよ籠のり渡り 五箇の淋しさ 身にしみる
壇ノ浦に敗れた平家一門。
五箇山に安住の地を得た一部の落人たちが、慣れない農作業の合間に
栄華を偲びつつ自らの悲しい運命を、麻の哀れさに託して唄ったものがこの唄。
・・・と、たいていの「麦や節」の紹介には、そう書かれています。
落人の詠嘆を想起される歌詞が当て嵌められるようになったのは
おそらく明治の末以降のことで、史実に反するとまではいわなくても
この説明はちょっと粉飾過多かもしれません。
ただ、そんな史実の詮索よりも、この唄が、歌われるときに
その向こうに垣間見える風景に、誰もが心を打たれるのだと思います。
無常の風景のなかにいるのは、落魄してもなお逞しく生き抜く人の姿です。
笠を頭の後ろへかざすこのポーズ以外、間断なく動いているむぎや踊りですが
よく見るとひとつの動作ごとにピタリと一瞬、静止しているのがわかります。
潔いほどキビキビとした動作のなかに、なぜか哀愁を感じ取ってしまうのが麦や踊り。
情緒纏綿とした越中おわら節と、潔さのなかに哀調を漂わせた麦や節とは
日本人の両極端の心性を表しているようも思えます。
出丸町の皆さんの演舞です。
音楽の授業で習ったときには思いませんでしたが
踊りとともに見ると、こきりこ節というのは、祝祭感に溢れた、とても楽しい曲ですね。
女の子たちが踊る「四ツ竹節」とても可憐でした。
街並み踊りで披露される曲は、町によってさまざまですが必ず演じられるのは、もちろん麦や節です。
烏帽子狩衣脱ぎ打ち捨てて 今は越路の杣屋かな
鮎は瀬につく鳥ゃ木に止まる 人は情けの下に住む
(「その3」につづく)