2014年 09月 21日
城端むぎや祭 2014 その1
富山県を代表する民謡といえば、東は八尾の「おわら節」、
西は[こきりこ節]や「麦屋節」擁する五箇山民謡ということになると思います。
とくに「こきりこ節」は音楽の教科書にも取りあげられたりしていますので
楽曲としては五箇山民謡の知名度が高く
本場五箇山にも、麦屋まつりやこきりこまつりといったいい祭りがあります。
お隣のここ城端では、大正時代に麦やが伝わり
規模では風の盆にも匹敵し、演舞のすばらしさも本場に勝るとも劣りません。
(・・・と僕は思います)
街並み踊りやむぎや競演会は午後2時半以降。
午前中に到着し、まず「じょうはな座」で、麦屋節のコンクール大会を覗いてみます。
ちょうど子供の部の途中で、つぎからつぎに小さな名人が登場しました。
それにしても、なんというポテンシャルの高さ!
どちらも、まず・・・
平野から山間に分け入るトバ口に拓けた坂の町。
浄念寺まえの「念仏坂」をくだると「竜女食堂」という名の食堂がありました。
朝食兼昼食をとろうと坂をくだってゆくと・・・
あれ・・・?
2年まえに通りかかったときも、営業しているのか判然としませんでしたが
すくなくとも看板はあがっていました。 それさえ跡形もなくなっていました。
城端の坂には、とても粋な名前がつけられています。
御坊坂、ぼたもち坂、警察坂、桜坂、地獄谷の坂・・・
こちらは「禅寺前(ぜんでらまい)の坂」。
この坂のある川島地区は、京都西陣、川島織物(現川島織物セルコン)の創業者、
川島甚兵衛の出身地。
生家前の坂も「立志坂」と名付けられています。
四棟の蔵は、旧野村銀行を経営していた財閥、野村家の蔵。
城端が絹織物で好景気に沸きかかえっていた、明治末に建てられたもので
現在は、曳山会館になっています。
彫刻と彫金のすばらしい曳山があるのも、城端と八尾の共通点ですね。
ドラマのなかでは名指しされていませんが背景はあきらかに城端をモデルにしています。
いまだにコアなファンがいるらしく
じょうはな座の駐車場には「のえがすきだ!」と書かれたイタ車も(笑)
「のえ」というのは、このアニメのヒロイン。
60回大会のポスターの右下の女の子です。
一方、八尾の方はというと・・・
おわらを愛する高校生を描いた「月影ベイベ」というマンガが連載中です。
現在、五箇山と金沢を繋ぐのは国道304号線で、城端の市街の中央を縦断していますが
ひと筋下がったこちらが旧街道です。
ちょっと甘めのこちらのお醤油は、
われわれ(城端の人)にはなくてはならないものです。
ある町のここでの演舞のまえ、そんな説明がありました・・・
最初に登場するのは、坂の下にある東新田町のみなさん。
公民館まえに、準備を整えた踊り手・・・
お聞きすると、街並み踊りのまえに出立式があり、
踊りもあるというので、しばらく待って見せていただくことに・・・
午後2時、出立の踊りがはじまりました。
どこの町でもこのような出立式を行うのかわかりませんが、この踊りに、この日いちばんの感銘を受けました。
むぎや祭・・・といっても神事ではありません。
ただ、とても敬虔な思いが踊りに込められているようにも感じられました。
>
麦や菜種は二年で刈るに 麻が刈らりょうか半土用に
秋に聞くむぎや節・・・やはりいいです!
昼食後、出丸坂会場に移動します。
澄み切った青空の下、風情ある街並みをバックに繰り広げられる演舞。
正しい日本の秋ですね~^_^
そして何よりも後継者たる子供たちの面々。頼もしい限りです。
数年前南砺市にある「薪の音」さんという宿に泊まりに行った際に、
城端の近くを通ったのですがその時は素通りしてしまいました。
こんなに素敵な町だったのですね。残念なことをしてしまいました。
「城端むぎや祭り」またまた訪れたい候補地が増えてしまいました。困ったものです^_^
「その2」楽しみにしております。
こんにちは!
「小京都」という言葉はあまり好きではありませんが
「越中の小京都」というキャッチフレーズを標榜するだけあって
蓮如上人開基の古刹善徳寺を中心に
城端には趣のある町並みが多く好きな町のひとつです
むぎや祭は 諏訪町通りのような剣呑な雰囲気はなく(笑)
のんびりと眺められるのも魅力です
5月の曳山祭もとても美しい祭りでした
子供や若者がすすんで参加するというのは
いい祭りのバロメーターですね
おわらもむぎやも 日本舞踊などが取り入れられ
ふつうの盆踊りなどとは一線を画しますが
滋賀県では現在「江州音頭」を
小学校でも教えないのがなんとも情けないです
この日は快晴で もう到着するまえから気持ちが高揚していました
できれば2日間とも見たかったのですが・・・
9月はじめには風の盆
中旬にはこの城端むぎや祭
下旬には五箇山のむぎや祭と こきりこ祭
9月は富山県に住みたいくらいです^o^