弘前ねぷたまつり 天の巻

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やーやどー やーやどー

勇ましい掛け声と、
地鳴りのようにうねる太鼓の響き。
扇形のねぷたが北の城下町をゆきます。

「弘前ねぷた」は出陣を、
「青森ねぶた」は凱旋ををあらわす
・・・そんな風にいわれるそうです。

どういった根拠があるのかはわかりませんが、
威風堂々とした弘前の運行を見ていると、
きっとそれにまちがいない、と思えてきます。

8月1日から7日まで7日間にわたって
青森県弘前市の市街地で繰り広げられる「弘前ねぷたまつり。
3日目の8月3日にお伺いしました・・・。




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弘前藩津軽氏4万7千石の居城、弘前城。

堀や石垣など、城郭の全容が
ほぼ廃城時の原形をとどめ、
二の丸辰巳櫓、 二の丸未申櫓、二の丸丑寅櫓、
二の丸南門 、二の丸東門 、三の丸追手門
北の郭北門、弘前城三の丸東門 、8棟の建築と
天守1棟が現存します(現存12天守のひとつ)。

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司馬遼太郎は『北のまほろば』のなかで、
弘前のことを「物持ちのいい町」と書いていましたが、
城下町には伝統的な建造物や、
多くは明治時代に建てられた近代建築が
あちらこちらに残っていて、歩いているだけで楽しい・・・。

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街角では美女の奏でる津軽三味線・・・。

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ホテルで荷を解き、夕刻、会場へ向かう途中、
子供たちが小型ねぷたを曳く姿を見かけました。

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合同運行にはふたつのコースがあって、
この日は、桜大通り から一番町、
下土手町、中土手町 、土手町十文字
を曳きまわす土手町コース

お城の東側、お濠沿いの追手門通りに、
ねぷたが出陣を待っています・・・。

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午後7時・・・。

直径3.3mの巨大な「津軽情っ張り大太鼓」
(つがるじょっぱりおおだいこ)を先頭に、
合同運行がはじまります。

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「情っ張り」は「剛情っ張り」の意味で、
負けず嫌いの津軽人の気質を表すといわれます。
「情っ張り大太鼓」のネーミングは、
三代藩主信義公の、こんな情っ張りぶりからきいるそうです・・・。

江戸城年賀の式に登城した信義。
控の間で諸侯が、
加賀百万石の六尺大太鼓の噂をしています。
あれこそ天下一であろうという大名を制してせせら笑い、

 「その程度の太鼓は津軽では子供の玩具。
 城内の櫓太鼓は十尺に余る」

・・・と、つい大言壮語してしまいます。

雪解けを待って実否を確かめようということになり、
言い過ぎた・・・と悔いるも後の祭り。
こっそり弘前へ早馬を使わして、
言葉通りの大太鼓を作らせた・・・といいます。

雪解けを待って訪れた検使の面々も
この大太鼓には、唖然として言葉もなく、
信義は大いに面目を施したという話です。

この伝説に基づいて、
昭和45年4月に作られたものだそうです。

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町名印の高張り提灯が掲げられ、
町内役員の方々が先陣を切り、
扇灯籠や角灯籠をもつ子供や女性、
小さなねぷた(前ねぷた)のあとに囃方、
最後に大型ねぷたとその後ろに囃方・・・。

隊列はおおむねこんな感じです。

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よく知られているように、
青森は「ねぶた」 弘前は「ねぷた」と呼ばれます。
nebutaneputaも「眠い」の訛りとしたうえで、
「ねぶたい」と言うか、「ねっぷたい」と言うか、
両地域の言葉の微妙な違い
・・・と説明するものもありますが、
実際はそんな顕著な方言の違いはなく、
だいたい、現地の方々はふたつの言葉を
厳密に区別したりしない・・・と仄聞しました。

五所川原出身の歌手、吉幾三さんが、
『立佞武多』という唄を歌っておられますが、
聴いていると「bu」にも「pu」にも聞こえますね。

1980年に重要無形民俗文化財に指定されたとき
それぞれそういう名称で登録され、
あたかも別モノであるかのように
認識されるようになってしまった
・・・というのが実情らしいです。

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ただ、ふたつの祭りを見比べると、
受ける印象には際立った違いがあります。

まず、ねぶた(ねぷた)の形が異なります。

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「青森ねぶた」では「組ねぶた」(人形ねぶた)が主流なのに対し、
「弘前ねぷた」は扇形が主流です。

ただ、これは明治以降の風潮で、
それ以前は、青森と同じように、
組ねぶたや行燈形のねぶたが運行していたようです。

なぜ、明治以降の弘前で
扇形のねぷたが主流になったのかはわかりません。

津軽統一を果たした津軽為信の幼名が「扇」だった
・・・というのは、ただの偶然でしょうか・・・。

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長らく津軽の中心として栄えてきた弘前城下が、
廃藩置県で青森にその座を奪われ、
市勢の衰えとともに、簡易な扇形が主流になった
・・・ということも考えられなくもありません。

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しかし、弘前ねぷたの幻想的な運行を眺めていると、
どうしても、そんなマイナスの要因ばかりでは
推し量れないものがあるように思えてきます。

この町の人々の心情に共鳴する魅力が、
扇形のねぷたにあったにちがいありません。

経済的な理由だけが
扇形ねぷたを生み出したのだとすれば、
戦後、観光資源として注目されるに従って、
青森のねぶたが巨大化していったように、
弘前のねぷたも、
組ねぷたに戻っていてもおかしないですね。

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扇形ねぷたのどこが魅力かといえば、
まず、描かれる絵柄の美しさが際立つところでしょう。
これは、逆に、組ねぷたでは出せない魅力ですね。

たとえば、こちらは前ねぷたが4つあり、
(5つだったかな・・・?)
子供たちが曳きまわして乱舞します。

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一綴の画になっていて、これは見事でした!

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なかには電球でなく、
ロウソクで灯りをともすものも・・・。

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図案は、ほとんどが「三国志」か「水滸伝」から採られています。

ひとつひとつが何を表しているのか、
読み取ることはできませんでしたが、
暗闇にくっきりと浮かびあがるさまは、
艶めかしく、幻想的でした・・・。

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(「地の巻」につづく・・・)
by dendoroubik | 2014-08-22 17:42 | ◆陸奥の祭 | Trackback | Comments(2)
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Commented by すぺいん人 at 2014-09-06 20:55 x
こんばんは~♪

八尾からお帰りなさい(笑)。

まずは、弘前~青森のねぶた&ねぷた三昧の記事を拝見します☆☆☆

弘前のねぷたは見に行ったことが無いんですが、
お写真を拝見していてまず思ったのは「絵が綺麗!」でした♪・・・途中まで読んでたら同じ事書かれてましたね(^^;)

そしてじょっぱり大太鼓がデカいっ!!!
やはり弘前のねぷたも生で見なければ!ですね❤
Commented by dendoroubik at 2014-09-07 10:47
☆すぺいん人さん

おはようございます!

青森ねぶたは過剰なカラス対策のためか
予想していたほど熱狂できませんでした

「あれ? もう終わり・・・?」

という感じで・・・

弘前ねぷたは ハネトこそいませんが
囃子方の盛りあがりは青森以上に感じました

弘前は情っ張り太鼓
青森は出世太鼓
五所川原はあすなろ太鼓
が登場するみたいですね
弘前はそれ以外の太鼓も多く
女性がもろ肌脱いで打つ姿がメッサ カッコよかったです!