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山科義士まつり

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 風さそふ 花よりもなほ 我はまた 春の名残を いかにとやせん

法住寺の「義士会法要」のあと、山科まで移動して「山科義士まつり」をちょっと覗いてみました。




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赤穂城明け渡しの後、討ち入りまでの一年あまり、筆頭家老・大石内蔵助が隠棲していたのが山科。

「忠臣蔵」ほど、日本人を熱狂させてきた物語はないですね。
討ち入りの翌年には、江戸山村座の『傾城阿佐間曽我』4年後には近松門左衛門作の人形浄瑠璃『碁盤太平記』が上演され
熱狂を持って観衆に迎えられています。
「忠臣蔵」というジャンルを確立したのは、人形浄瑠璃『仮名手本忠臣蔵』。
「これさえ演っていれば大入り間違いなし」・・・という切り札だったみたいです。

そういった芝居にも登場する山科の内蔵助閑居址は、江戸の末期には名所のひとつに数えられていたらしく、
その頃設けられた「隠棲旧址」の石碑は、いまも岩屋寺に残っています。
写真は、一昨年の米原曳山祭の子供狂言、『碁盤太平記 山科閑居 大石妻子別れの場』。


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「山科義士まつり」は、今年で三十九回目を数えるそうです。

四十七士に扮した地元の方々を中心に、毘沙門堂から岩屋寺、大石神社までを練り歩くパレードが中心ですが
途中、外環沿いのスーパーの駐車場で、パフォーマンスがあります。
この日到着したとき「子供連判状改め」・・・というのをやってました。(写真は、大人版連判状改めです)


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時は元禄十四年、所は江戸城、松ノ廊下にて・・・ 

殿中でござる・・・のシーンを演じているのは、おそらく東映太秦の俳優さん。
もらったビラには、地元の方々の名前しかありませんでしたが、
吉良上野介、浅野内匠頭、梶川頼照は、あきらかにプロの方でした(笑)


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幕間に、こんな感じの踊りが二度入ります。 「大石音頭」とかだったかな?


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 時は元禄十五年 師走半ばの十四日
  卍巴と降る雪の中 
  お納戸羅紗の長合羽 
  二段はじきの渋蛇の目
  爪掛けなしたる高足駄に身を乗せて 
  静かに歩む大石の 
  後ろに従うその人は 
  ふところ刀 寺西弥太夫 
  来たるは名代の南部坂
  ちょっと古かったですか(笑)


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討ち入り後に昼食休憩です。
ここからまだパレードがはじまるのですが、ちょっと悪寒がして、ここで帰宅してしまいました。


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大石神社では、正午から「山科こども歌舞伎」というのを演ってたみたいです。
第5回・・・とありますので、最近はじまったものですね。『仮名手本忠臣蔵』・・・次回はこれも見てみたいと思います。

by dendoroubik | 2013-12-16 14:37 | ◆京の祭 | Trackback | Comments(0)