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佐和山遊園再訪(再録)

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今年、滋賀県でもっとも話題となったのは、県庁が制作した県のPR動画でしょう。
コチラ

あれを見て滋賀県に行こうという気を起す人がいるとも思えないのはもちろん
興味を持つ人がいるかさえ不明ですが、おもしろいことはおもしろかったですね。
同郷の石田三成のマイナスイメージに疑問を投げかけることで
滋賀県のマイナスイメージを払拭する・・・という殊勝な企図にかこつけて
たんに自虐を愉しんでいるだけとしか思えないこのPR動画さえ触れることのない
石田三成に関するトンデモスポットが滋賀県にはあります。

知る人ぞ知る「佐和山遊園」

石田三成をそう扱うなら、このテーマパークをこそフィーチャーすべきだ!
と思うのですが、惜しむらくは昨年(2015年)10月に閉鎖。
本文でも触れるように、この施設を滋賀県や彦根市の観光行政は黙殺。
3年まえにUPした記事ですが、この機会に再録する次第です。




 
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国道8号線を彦根市街地方面から北上し佐和山トンネルに入る手前、右側に「佐和山遊園」はあります。
今から30年以上前・・・1976年、不動産投機や飲食店経営で財を成した地元のある実業家が
石田三成のテーマパークを建設することを目論んで着工したのだといわれます。
当初は、遊具やおみやげもの屋、美術館などを併設した有料の遊園地として構想されていたそうですが
建築基準法の要件を満たしていないという理由で(?)
営業許可の下りないまま「無料公開」というかたちで、今日に至っています。

現在も、この実業家によって、いつ果てるともない完成への作業が営々とつづけられています。

滋賀県も彦根市の観光行政も完全に黙殺。 公的な観光案内には、いっさい記載がありません。
このテーマパークが知られるところとなったのは理解不能な建造物や展示物を、笑いのネタにしたSNSによってです・・・

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たしかに、このテーマパークは理解不能です。

総工費がいくらくらいなのかは詳らかにしませんが少なく見積もっても、億の単位は下らないでしょう。
数億円の私財と30年以上の歳月、心血を注いだ労作。
当然、それに見合う感動を期待してこれを見る者は
あまりのチープさ、期待とのあまりのギャップに唖然とするしかありません。

ユイスマンスや江戸川乱歩の小説に登場する、好事家の人工楽園は常識人には理解不能・・・
とはいえ、共感を覚える人も、少なからずいるでしょう。
でも、このテーマパークは、他者の共感を予め拒絶するように屹立しています。
同じ人工楽園を描いても「共感」以前の読者の「理解」自体を脱臼させてしまう
レーモン・ルーセルの小説に、ユイスマンスや乱歩よりむしろ似ているかもしれません。

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いったいこの実業家は、何を思ってこんなものを作ったのでしょうか・・・?

その意図を理解するためのヒントがふたつあります。
このテーマパークは、石田三成が居城とした「佐和山城ソーン」と「その城下町ゾーン」大きくふたつのゾーンに分かれていて
それぞれのゾーンに石碑が建てられており、建造要旨が記されています。まず、城下町ゾーンの「佐和山美術館」前の石碑に曰く。



今を去る四百年前 ここ佐和山は五層の天守閣のある石田三成の治める美しく豊かな城下町であった
しかし関ヶ原の合戦で敗軍となるや総ては消滅した
今往時を回顧し在りし日の美しい城下町を再現し、合わせて美術館を建設したものである


この文章だけ読むと、製作意図がよく理解できます。共感すら覚えます。 

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しかし・・・「城下町入り口」と書かれた「山門」をくぐる前にそんな「理解」も「共感」も吹っ飛んでしまいます。
いきなり、あまりにもあまりな仁王像が立ちはだかっています・・・

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「城下町入口」といいながら「山門」をくぐっても「城下町」なんか現れません。 
倒錯した仏教ワールドがひろがるばかりです。

一見、「山門」のグロテスクなプロポーションの像とは対照的な
精巧な仏像彫刻のレプリカが並んでいるように見えますが、よく見ると、この仏像群の配置も著しく倒錯しています。
如来と天部が向かい合うという配置も見たことがありませんが如来像が一段下に置かれているというのも、さらに理解不能です。

それだけではありません。

天平彫刻の最高傑作ともいわれる東大寺戒壇院の四天王増長天、多門天、持国天
・・・とくれば、当然、広目天がつづくかと思いきやなぜかその隣には不動明王が立っています(笑)
畳みかけるように、その足元にはバイオリンを弾くドレス姿の少女・・・
写真が切れていますが、運慶、快慶作の東大寺の仁王像がつづきます。

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誰に頼まれたわけでもなく、自らの趣向で仏像を集めたわけですから
当然、製作者はこんな間違いに気づいているはずです。明らかにこの配置は確信犯。
でも、その意図がまったく読めません。
如来像群が国道側にスライドしているのも、何らかの意図・・・でしょうか?

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仏像群の裏手へ、坂道を登っていくと金閣寺を思わせる金ピカのお寺らしきものが現れます。
石田三成が母の菩提を弔うため佐和山城の近くに建立したという瑞岳寺。(・・・だそうです)
ちなみにこの「お寺」YAHOO地図にも「卍」と記載されています(笑)↓



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四天王(三天王?)の下の石垣こそ、実は「佐和山美術館」「ご自由にお入り下さい」の文字に誘われ、今回はじめて内部へ・・・

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石田三成や佐和山城とは特に関係はなく製作者が描いたと思える日本画や金屏風などが展示されています。

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名だたる名画の模写・・・のようですが、精密に模写しようという意志に乏しく
ペンキのようなもので描き殴られている感があります。

テーマパーク内にはこの他にも、第二、第三、第四と計4つの「佐和山美術館」があり
同様の展示がされています。 製作年代の順はわかりませんが後の美術館へ行くほど
模写への意志がさらに希薄になり、ちょっと投げやりなタッチになっていくように感じられます・・・

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このテーマパークの中心、佐和山城。
城郭の内部には立ち入れませんが前部の一層、二層は美術館になっていて入場可能です。

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目を惹くのは、城郭のまわりにあしらわれた古代ギリシャ彫刻風のオブジェ。

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一部の仏像を除く彫刻群のいびつなディフォルメとは異なりレディメイドなのか、精密にオリジナルを再現しています。

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ギリシャ彫刻とイビツなこの仏像とが、同じ世界観に同居している
・・・とうか、同居させようとしているところが、このテーマパーク最大の謎です。

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似せよう・・・という以前にもはや上手く描こうという意志すら感じさせない絵画たち・・・

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佐和山城ゾーンにある石碑を見てみましょう。

石田一族群霊供養之塔

慶長五年九月十八日、関ヶ原合戦に勝利を得た東軍はここ佐和山に押し寄せた
時の流れは如何ともしがたし、
緑なす醇風楽土は一気に修羅の巷と化したのである
燃え上る城の中で、又女郎谷の谷底へ
ほぼ三千人の石田一族は悲憤の涙と共に消えたのであった
時は流れ、今なおこの地に眠る霊魂は何かを訴えている様である
うたた感無量、霊の安からん事を祈り
この世にかかる惨禍の起らぬ事を願って
茲に碑を建て往時を偲ぶ術とするものである。      合掌


文意はよく理解できますが、やはり実際の製作物との間隔は如何ともしがたく
あまりのギャップにめまいが起こりそうになります。
あるいは製作者は、この地に眠る石田一族の霊魂の声を聴き
理不尽な欲動に突き動かされて、このテーマパークを建造したのでしょうか。

そんな気がしてきます・・・

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城下町ゾーンに城下町はない・・・と書きましたが
四天王、不動明王、仁王像を見下ろす先には、彦根城とその城下町がひろがっています。
井伊直政は関ヶ原の戦いの後、軍功により18万石にてこの地にに封ぜられ、石田三成の居城、佐和山城に入城。
その後、家督を継いだ直継の時代に琵琶湖に浮かぶ金亀山に彦根城が築かれ、佐和山城は廃城になります。

彦根城とその城下町を見おろしているうちに、ふとこんな妄想が浮かんできて「佐和山遊園」の謎が解けた気がしました。

つまり・・・

常識を無視して四天王、不動明王、仁王が高台のこの向きに配置されたのは
憤怒の相で彦根城に睨みを利かせるためだったのではないでしょうか?
彦根城の城下町とはすなわち、佐和山城の城下町だったはずの場所。
「城下町入口」と書かれた仁王門をくぐっても城下町のミニチュアが現れないと冷やかしてしまいましたが
実はこれが「佐和山城の城下町だ!」と言いたかったのではないでしょうか。

そして、四天王のうち
広目天だけが欠けているのは、
徳川四天王と呼ばれた井伊直政への
当てつけだったのでは?


そう考えると、妄想が確信に変わってきました。

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仁王像の横には、唐突に観音菩薩が並んでいます。
広目天だけが欠けた四天王が「彦根城の城下町」に睨みをきかせ
その横で観音菩薩が、あったはずの「佐和山城の城下町」に慈愛に満ちた眼差しを向けている・・・

これがトンデモ遊園地に隠された、製作者の意図だったのではないでしょうか?

Commented by shinrajuku at 2016-12-10 12:12
「探偵!ナイトスクープ」の小枝探偵ばりのパラダイスネタですね^^
Commented by dendoroubik at 2016-12-10 18:15
☆森羅塾さん

小ネタなんですけど やってはることはスケールでかいですね(^-^
冷やかし半分の書き方してしまいましたけど
けっこうこの施設には共感をおぼえています
by dendoroubik | 2016-12-09 07:00 | 滋賀 彦根 | Trackback | Comments(2)