2012年 12月 28日
湖国百景しりとり紀行 その8
71.けいそくじ
湖東、湖南、大津地区にそれぞれ人気の紅葉スポットがありますが、
湖北の代表格がこの「鶏足寺」でしょうか。
奈良時代の創建といわれ、
中世には僧兵を擁し「湖北の比叡山」とまでいわれた諸寺も、
いまは苔むした石垣や諸堂の礎石のほかに往時を偲ぶものはなく、
200本以上といわれる背の高い紅葉の古木が
秋には紅く燃えあがるばかりです。
72.しもさかもとのまいどこ
まいどこ
まいどこ
ワラ三把出さんものは
ツラに毛がいっぱい
はよ はよよー
11月22日の夕刻、
木製の面(吽形阿形?)をかぶった子供たちが、
唄いながら、氏子の家をまわり梵音堂の旧社地へと向う
下阪本酒井神社の「まいどこ神事」。
翌日早朝、境内で藁を焚く行事があり、
左義長の一種と考えられます。
唄の内容はおそらく、
「左義長に藁の三把も出さないような奴は、
顔からいっぱい毛が生えてくるぞ!」
というユーモラスな脅しではないでしょうか。
日本版ハロウィン・・・といったところでしょうか^-^
73.こんきじょう
「金亀城」は彦根城の別名。
奈良時代、近江の国司、藤原房前によって建立された彦根寺。
その本尊の観音菩薩が、金の亀に乗っていたことが「金亀」の由来。
天守が国宝指定を受けていますが、
「こんな低い石垣で敵の攻撃に耐えられるのか?」
と思わずにいられない石垣
(実は、トリッキーなトラップが仕掛けられています)
の方に、僕はむしろ魅力を感じます^-^
74.うなづき
昔、京都に「伝説の岩倉屋台ラーメン三店」というのがあったそうです。
そのうちの一店 「宇奈月」さんが
同じ京都の松ケ崎に店舗を構えられていた頃、
(20年ほどまえです)
一度だけお伺いしたことがあります。
「まだ、やってはるのかなー」と思って、ネット検索してみると、
なんと、滋賀県に移転・・・とありました。
県道4号線沿い・・・併走するJR草津線の甲賀駅と油日駅の中間あたり、
滋賀といっても、かなり三重県寄りにあります(甲賀市甲賀町田堵野339)。
どうしてこんなところに・・・?
もうひとつ不思議なのは、
同じ「伝説の岩倉屋台ラーメン三店」のひとつ、
「山さん」も滋賀県に移転(守山市古高町622-4 )していることです。
なぜ・・・?
75.きゅうしばやちょうゆうかく
17世紀末に出版された色道大百科『色道大鏡』(藤本箕山著)という本によると、
幕府公認の遊廓は全国に25あり、
江州では「大津馬場町」という名が見られます。
元禄の最盛期には大津の人口は1万八千超。
人口密度の高い「都会」だったんですね。
大津の遊郭は、世に柴屋町といひならはし侍れど、馬場町なり。
柴屋町といへるは、遊郭の外下の一町をいふ。
当時の大津町割を見てみると、
「上馬場町」「下馬場町」の名が見当たります。
現在の大津市長等2~3丁目あたりです。
『大津百町物語』 (大津の町家を考える会 編。サンライズ出版)によると、
この2つの町は「柴屋町ともいう」とあり、
柴屋町といへるは、遊郭の外下の一町をいふ という意味はよくわかりません。
井原西鶴の『好色一代男』(巻五 卅六歳 ねがひの掻餅)にも、
「是ハ無用になされ。六匁や七匁でハたらぬ」
と、ちょっと格式の高い遊郭として紹介されているのは、
「大津柴屋町」となっています。
旧柴屋町から桶屋町にかけての迷路のように入り組んだ路地には、
格子の窓や2階の木の手すりなど、
遊郭の名残りを感じさせるものがかなりあります。
「あっ!これは芸者さんの置屋やったな」
とひと目でわかるお宅があったり、
簾をかけた古い町家が並ぶ通りを歩いていると、
タイムスリップした気分になります。
「花街」としての役割は終えていますが、
ちょっと上七軒を連想したりもします。
76.くたはながさ
「久多花笠踊りは、京都の行事ではないか?」
と思われた方もいると思いますが・・・
正解です^-^;
行政区分でいうと、久多は京都市左京区、
この「花笠踊り」や、同じ頃におこなわれる「松上げ」の習俗は、
京都側からの影響でしょう。
ただ、江戸時代にはここは朽木藩の所領、江州に含まれ、
神事がおこなわれる志古淵神社は、
滋賀側に固有の「シコブチ神」を祀っています。
京、近江のあわいにある集落といえるでしょう。
8月24日の夜、
街灯も乏しい山間の村で、花笠をもった青年たちが
念仏風の文句を唱えながら
太鼓や鉦に合わせて踊る姿は、
まるで室町時代の風流踊りを見るような
ありえない幻想的な光景です。
77.さかもとのあのうづみ
数年前に、こんなラジオCMがありました・・・。
(タクシーに乗り込む音)
「お客さん、どちらまで?」
「あのぉ・・・」
「はい。かしこまりました。滋賀県大津市穴太(あのう)ですね!」
・・・。
「穴太」という地名は、比叡山麓にいまも残りますが、
「滋賀県」の名の由来となった「滋賀郡」のこの一帯は、
縄文から弥生時代にかけての渡来系氏族の古墳銀座。
おそらくこれらの古墳群を造営した石工たちの末裔が、
織豊時代、城郭の石垣構築で
一躍その名を知られるようになった「穴太衆」。
比叡山とその門前町坂本を焼き討ちした信長が、
穴太衆による石積みが、ビクともしなかったのに感心して、
安土城の築城にあたり彼らを召抱えた
・・・というのは現在では俗説として退けられているそうで、
実際は、彼らを含む多くの石工たちが使役されていたようです。
近江は城郭の多さもさることながら、
その城郭に石垣造りの多いのも特色です。
石仏や磨崖仏の多さ、
石山、大石、石部など「石」のつく名の多いことなどを考え合わせると、
「石」を巧みに操る集団が近江各地に割拠し、
「穴太衆」はそれらの代表格(代名詞)だったのではないか
・・・という妄想が膨らんできます・・・。
78.みたらしだんご
「みたらし団子」の名は、京都下賀茂神社を流れる御手洗川に由来する
・・・というのが一般的ですが、
大津唐崎神では(というか、社前の老舗茶屋「寺田物産」さんでは
・・・というべきでしょうか)
こちらが発祥の地とされています。
下賀茂神社発祥説では、
その昔、後醍醐天皇が御手洗川で水をすくったところ、
5つの泡が浮きあがった・・・という故事にちなんで
5つの団子を竹串にさして売り出されるようになった
・・・とされています。
いかにもいわくあり気で、なるほどの納得させられますね。
一方、唐崎神社説は、
7月28日、29日にこなわれる「御手洗祭」で、
神前に大きな串団子が奉納されたことが、
この団子のルーツだとしています。
どちらの説が正解なのかは知りませんが、
清めを意味する「御手洗」がネーミングの由来
だとするのは同じです。
ただ、どちらも団子やその形の説明はあっても、
いちばん特徴的な醤油のタレについては、
ひとことも説明していません。
なんでもかんでも「京都発祥」とする説があまりにも多く、
ちょっと眉に唾をつける気持ちと、
近所の身びいきで(^‐^;)
僕は唐崎神社発祥説をとります。
その根拠は・・・長くなりますので、
またの機会に^‐^;
79.こなんアルプス
大津市、草津市、栗東市にまたがる「湖南アルプス」。
標高600mそこそこの山並みに、
誰が「アルプス」なんて大それた名前をつけたのでしょうか?
ただ、実際に登ってみると、
風化した花崗岩や巨大が露岩が
あちこちに見られる荒々しい景観が、
ちょっと「アルプス」の名にふさわしく思えたりもします。
狛坂廃寺の磨崖仏は必見!
80.すいごう
重要文化的景観第1号に選定(平成17年)された
近江八幡市の水郷を手漕ぎ舟で遊覧する「水郷めぐり」。
ご覧のように「いつの時代やねん!」
と思わず突っ込みを入れたくなるような長閑な風景です。
この写真のすぐ左手で、
昨年、桑田圭祐さんの出演するスマートフォンのCMの
撮影がおこなわれました。
(冒頭のバス停のシーンです)
「どこの田舎やねん!」
と思うような田園風景でしたね。
湖北の代表格がこの「鶏足寺」でしょうか。
奈良時代の創建といわれ、
中世には僧兵を擁し「湖北の比叡山」とまでいわれた諸寺も、
いまは苔むした石垣や諸堂の礎石のほかに往時を偲ぶものはなく、
200本以上といわれる背の高い紅葉の古木が
秋には紅く燃えあがるばかりです。
72.しもさかもとのまいどこ
まいどこ
まいどこ
ワラ三把出さんものは
ツラに毛がいっぱい
はよ はよよー
11月22日の夕刻、
木製の面(吽形阿形?)をかぶった子供たちが、
唄いながら、氏子の家をまわり梵音堂の旧社地へと向う
下阪本酒井神社の「まいどこ神事」。
翌日早朝、境内で藁を焚く行事があり、
左義長の一種と考えられます。
唄の内容はおそらく、
「左義長に藁の三把も出さないような奴は、
顔からいっぱい毛が生えてくるぞ!」
というユーモラスな脅しではないでしょうか。
日本版ハロウィン・・・といったところでしょうか^-^
73.こんきじょう
「金亀城」は彦根城の別名。
奈良時代、近江の国司、藤原房前によって建立された彦根寺。
その本尊の観音菩薩が、金の亀に乗っていたことが「金亀」の由来。
天守が国宝指定を受けていますが、
「こんな低い石垣で敵の攻撃に耐えられるのか?」
と思わずにいられない石垣
(実は、トリッキーなトラップが仕掛けられています)
の方に、僕はむしろ魅力を感じます^-^
74.うなづき
昔、京都に「伝説の岩倉屋台ラーメン三店」というのがあったそうです。
そのうちの一店 「宇奈月」さんが
同じ京都の松ケ崎に店舗を構えられていた頃、
(20年ほどまえです)
一度だけお伺いしたことがあります。
「まだ、やってはるのかなー」と思って、ネット検索してみると、
なんと、滋賀県に移転・・・とありました。
県道4号線沿い・・・併走するJR草津線の甲賀駅と油日駅の中間あたり、
滋賀といっても、かなり三重県寄りにあります(甲賀市甲賀町田堵野339)。
どうしてこんなところに・・・?
もうひとつ不思議なのは、
同じ「伝説の岩倉屋台ラーメン三店」のひとつ、
「山さん」も滋賀県に移転(守山市古高町622-4 )していることです。
なぜ・・・?
75.きゅうしばやちょうゆうかく
17世紀末に出版された色道大百科『色道大鏡』(藤本箕山著)という本によると、
幕府公認の遊廓は全国に25あり、
江州では「大津馬場町」という名が見られます。
元禄の最盛期には大津の人口は1万八千超。
人口密度の高い「都会」だったんですね。
大津の遊郭は、世に柴屋町といひならはし侍れど、馬場町なり。
柴屋町といへるは、遊郭の外下の一町をいふ。
当時の大津町割を見てみると、
「上馬場町」「下馬場町」の名が見当たります。
現在の大津市長等2~3丁目あたりです。
『大津百町物語』 (大津の町家を考える会 編。サンライズ出版)によると、
この2つの町は「柴屋町ともいう」とあり、
柴屋町といへるは、遊郭の外下の一町をいふ という意味はよくわかりません。
井原西鶴の『好色一代男』(巻五 卅六歳 ねがひの掻餅)にも、
「是ハ無用になされ。六匁や七匁でハたらぬ」
と、ちょっと格式の高い遊郭として紹介されているのは、
「大津柴屋町」となっています。
旧柴屋町から桶屋町にかけての迷路のように入り組んだ路地には、
格子の窓や2階の木の手すりなど、
遊郭の名残りを感じさせるものがかなりあります。
「あっ!これは芸者さんの置屋やったな」
とひと目でわかるお宅があったり、
簾をかけた古い町家が並ぶ通りを歩いていると、
タイムスリップした気分になります。
「花街」としての役割は終えていますが、
ちょっと上七軒を連想したりもします。
76.くたはながさ
「久多花笠踊りは、京都の行事ではないか?」
と思われた方もいると思いますが・・・
正解です^-^;
行政区分でいうと、久多は京都市左京区、
この「花笠踊り」や、同じ頃におこなわれる「松上げ」の習俗は、
京都側からの影響でしょう。
ただ、江戸時代にはここは朽木藩の所領、江州に含まれ、
神事がおこなわれる志古淵神社は、
滋賀側に固有の「シコブチ神」を祀っています。
京、近江のあわいにある集落といえるでしょう。
8月24日の夜、
街灯も乏しい山間の村で、花笠をもった青年たちが
念仏風の文句を唱えながら
太鼓や鉦に合わせて踊る姿は、
まるで室町時代の風流踊りを見るような
ありえない幻想的な光景です。
77.さかもとのあのうづみ
数年前に、こんなラジオCMがありました・・・。
(タクシーに乗り込む音)
「お客さん、どちらまで?」
「あのぉ・・・」
「はい。かしこまりました。滋賀県大津市穴太(あのう)ですね!」
・・・。
「穴太」という地名は、比叡山麓にいまも残りますが、
「滋賀県」の名の由来となった「滋賀郡」のこの一帯は、
縄文から弥生時代にかけての渡来系氏族の古墳銀座。
おそらくこれらの古墳群を造営した石工たちの末裔が、
織豊時代、城郭の石垣構築で
一躍その名を知られるようになった「穴太衆」。
比叡山とその門前町坂本を焼き討ちした信長が、
穴太衆による石積みが、ビクともしなかったのに感心して、
安土城の築城にあたり彼らを召抱えた
・・・というのは現在では俗説として退けられているそうで、
実際は、彼らを含む多くの石工たちが使役されていたようです。
近江は城郭の多さもさることながら、
その城郭に石垣造りの多いのも特色です。
石仏や磨崖仏の多さ、
石山、大石、石部など「石」のつく名の多いことなどを考え合わせると、
「石」を巧みに操る集団が近江各地に割拠し、
「穴太衆」はそれらの代表格(代名詞)だったのではないか
・・・という妄想が膨らんできます・・・。
78.みたらしだんご
「みたらし団子」の名は、京都下賀茂神社を流れる御手洗川に由来する
・・・というのが一般的ですが、
大津唐崎神では(というか、社前の老舗茶屋「寺田物産」さんでは
・・・というべきでしょうか)
こちらが発祥の地とされています。
下賀茂神社発祥説では、
その昔、後醍醐天皇が御手洗川で水をすくったところ、
5つの泡が浮きあがった・・・という故事にちなんで
5つの団子を竹串にさして売り出されるようになった
・・・とされています。
いかにもいわくあり気で、なるほどの納得させられますね。
一方、唐崎神社説は、
7月28日、29日にこなわれる「御手洗祭」で、
神前に大きな串団子が奉納されたことが、
この団子のルーツだとしています。
どちらの説が正解なのかは知りませんが、
清めを意味する「御手洗」がネーミングの由来
だとするのは同じです。
ただ、どちらも団子やその形の説明はあっても、
いちばん特徴的な醤油のタレについては、
ひとことも説明していません。
なんでもかんでも「京都発祥」とする説があまりにも多く、
ちょっと眉に唾をつける気持ちと、
近所の身びいきで(^‐^;)
僕は唐崎神社発祥説をとります。
その根拠は・・・長くなりますので、
またの機会に^‐^;
79.こなんアルプス
大津市、草津市、栗東市にまたがる「湖南アルプス」。
標高600mそこそこの山並みに、
誰が「アルプス」なんて大それた名前をつけたのでしょうか?
ただ、実際に登ってみると、
風化した花崗岩や巨大が露岩が
あちこちに見られる荒々しい景観が、
ちょっと「アルプス」の名にふさわしく思えたりもします。
狛坂廃寺の磨崖仏は必見!
80.すいごう
重要文化的景観第1号に選定(平成17年)された
近江八幡市の水郷を手漕ぎ舟で遊覧する「水郷めぐり」。
ご覧のように「いつの時代やねん!」
と思わず突っ込みを入れたくなるような長閑な風景です。
この写真のすぐ左手で、
昨年、桑田圭祐さんの出演するスマートフォンのCMの
撮影がおこなわれました。
(冒頭のバス停のシーンです)
「どこの田舎やねん!」
と思うような田園風景でしたね。
Commented
by
goodroads at 2012-12-29 22:25
是非、いろはがるたとして発売して欲しい・・・なんて思いますね!!
水郷は、私も行ってみたい、湖東三山も行きたい・・・とは以前から思ってはおりますが今年も無理でした。、
「穴太」の石積み、幾何学模様に紅葉の彩が添えられて見事です。
魅力が尽きない滋賀、そのシーンに出逢うことは、来年の課題です 凸!!
水郷は、私も行ってみたい、湖東三山も行きたい・・・とは以前から思ってはおりますが今年も無理でした。、
「穴太」の石積み、幾何学模様に紅葉の彩が添えられて見事です。
魅力が尽きない滋賀、そのシーンに出逢うことは、来年の課題です 凸!!
0
Commented
by
polepole-yururin at 2012-12-29 22:31
Commented
by
dendoroubik at 2012-12-30 17:01
☆Tomさん
坂本はぜひお越しください(^-^
とくに4月12~14日の山王祭の頃は
穴太衆の石積みに しだれ桜が映えて
一年でいちばん美しい季節です
Tomさんの湖国シリーズに坂本の町並みが加えられるのが
とても楽しみです(^O^)/
湖東三山もいいですが
最近できた(といっても 寺自体は湖東三山と同じくらいの歴史があるのですが)
湖南三山も なかなか見応えがありますよ
凸ありがとうございますm(__)m
坂本はぜひお越しください(^-^
とくに4月12~14日の山王祭の頃は
穴太衆の石積みに しだれ桜が映えて
一年でいちばん美しい季節です
Tomさんの湖国シリーズに坂本の町並みが加えられるのが
とても楽しみです(^O^)/
湖東三山もいいですが
最近できた(といっても 寺自体は湖東三山と同じくらいの歴史があるのですが)
湖南三山も なかなか見応えがありますよ
凸ありがとうございますm(__)m
Commented
by
yyama0525 at 2012-12-31 14:08
Commented
by
dendoroubik at 2013-01-01 18:02
☆ゆるりんさん
昨年の秋 はじめて鶏足寺へ行ったときの写真です
休日だったためか 大型観光バスが路上駐車してたり
(大きな駐車場がないのですね)
盛況ぶりに驚いた記憶があります(^-^;
でも たしかに湖北の紅葉は 滋賀県のなかでも とりわけ色づきがきれいですね
このあと 孤蓬庵へ行きましたが
とても強い印象が残っています
昨年の秋 はじめて鶏足寺へ行ったときの写真です
休日だったためか 大型観光バスが路上駐車してたり
(大きな駐車場がないのですね)
盛況ぶりに驚いた記憶があります(^-^;
でも たしかに湖北の紅葉は 滋賀県のなかでも とりわけ色づきがきれいですね
このあと 孤蓬庵へ行きましたが
とても強い印象が残っています
Commented
by
dendoroubik at 2013-01-01 19:23
☆Capt.yamaさん
新年あけましておめでとうございます!
どうぞ本年も よろしくお願いいたします
m(__)m
湖北の紅葉は
たとえば京都の紅葉とは またちがった趣きがありますね
しみじみと どこか寂しげに 赤々と燃えあがるようでした…
新年あけましておめでとうございます!
どうぞ本年も よろしくお願いいたします
m(__)m
湖北の紅葉は
たとえば京都の紅葉とは またちがった趣きがありますね
しみじみと どこか寂しげに 赤々と燃えあがるようでした…
Commented
by
tabi-saki at 2013-01-02 08:33
あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
…いやー気になります、御手洗団子の発祥と宇奈月、山さんとあとひとつのラーメン屋さんはどこなのかと(笑)
ことしも滋賀の魅力と素晴らしい写真、楽しみにしております!
…いやー気になります、御手洗団子の発祥と宇奈月、山さんとあとひとつのラーメン屋さんはどこなのかと(笑)
ことしも滋賀の魅力と素晴らしい写真、楽しみにしております!
Commented
by
dendoroubik at 2013-01-02 22:00
☆にむらさん
新年あけましておめでとうございます!
どうぞ本年も よろしくお願いいたします
m(__)m
「伝説の岩倉屋台ラーメン三店」というのは
当時は僕も聞いたことがなく
ネット記事で そんなのがあった見ただけなので
実はあとひとつが何なのかも
いや ほんとうにそんなのがあったのかどうかさえ知らないんです・・・^-^;
30年ほどまえ 学生時代にはたしかに京都には
おいしいと評判の屋台ラーメンが まだいくつもありました
屋号はもう忘れてしまいましたが
そんな屋台の一軒だったのかもしれないですね
「みたらし団子」の件は
すでに下賀茂神社説に傾いた学者の研究がいくつもあるみたいで
「醤油」の由来もそこでは説明されてはいるのですが
どうも納得できません・・・
これはちょっと究明してみたいと思いますw
新年あけましておめでとうございます!
どうぞ本年も よろしくお願いいたします
m(__)m
「伝説の岩倉屋台ラーメン三店」というのは
当時は僕も聞いたことがなく
ネット記事で そんなのがあった見ただけなので
実はあとひとつが何なのかも
いや ほんとうにそんなのがあったのかどうかさえ知らないんです・・・^-^;
30年ほどまえ 学生時代にはたしかに京都には
おいしいと評判の屋台ラーメンが まだいくつもありました
屋号はもう忘れてしまいましたが
そんな屋台の一軒だったのかもしれないですね
「みたらし団子」の件は
すでに下賀茂神社説に傾いた学者の研究がいくつもあるみたいで
「醤油」の由来もそこでは説明されてはいるのですが
どうも納得できません・・・
これはちょっと究明してみたいと思いますw
by dendoroubik
| 2012-12-28 22:30
| ◇湖国百景しりとり紀行
|
Trackback
|
Comments(8)