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湖国百景しりとり紀行 その2

11.りゅうぼうしのはなばい
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音だけ読んでも何のことだかわからないと思いますが、

  「竜法師の花奪い」

・・・と漢字を入れてもなお分からないかもしれません(笑)

「竜法師」は、鈴鹿の麓、甲賀市江南にある地名。

  聖徳太子がここに住む流を仏弟子にした

・・・という伝説が地名の由来、
と説明されるのが一般的です。

「花奪い」は、伊賀地方北部から甲賀へかけての地域
(水口、土山、甲賀、甲南)にみられる行事。
色鮮やかな造花を神社に奉納するやいなや、
寄ってたかってこれをを奪い合う
・・・というけっこうタフなものです。

  「なにをそんなにムキになって奪い合うのか」

と、はじめて見たときは思ったものですが、
これは欲の皮が張っているわけではなく、
激しく奪い合うこと自体に
疫病退散の意味がこめられているそうです。
つまり、夏に蔓延する疫病を花に依りつかせ、
これを破壊することで封じ込める、
という行為なのだそうです。

竜法師は甲賀忍者発祥の地でもあり、
ホンモノの忍者屋敷もあります。






12.いしどうじ
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全国的な知名度は、決して高くはないでしょうが、
(むしろ、低い方・・・でしょうか)
石塔寺は、滋賀のなかでも一
見の価値のあるもののひとつだと思います。

湖東の他の天台寺院と同様、信長の焼き討ちにより
七堂伽藍、寺宝はことごとく灰燼に帰しますが、
圧巻は境内に残る数万基の石塔群と、
その中心にひときわ高くそびえる三重石塔。

7世紀に朝鮮半島から湖東に渡来した
百済系の人々がつくったといわれるこの石塔は、
中世以前の日本のどの石塔とも様式がちがっていて、
見る者に強烈なインパクトを与えます。

  古代朝鮮の王室の装束をした背の高い五十男が、
  凝然と異国の丘に立っているよう

司馬遼太郎はこの石塔をそう表現しています。

13.しなさんごう
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草津市志那町にある3つに神社、
三大神社、志那神社、惣社神社には、
いずれも藤の老木があり、
併せて「志那三郷の藤」と呼ばれます。

なかでも樹齢400年といわれる三大神社の藤は、
花穂が長く伸びることから、

  「砂擦りの藤」

と呼ばれ、見モノです。

14.うばがもち
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画像がなかったので 「うばがもちや」さんのHPから拝借しました。

「うばがもち」は近江を代表する名物。

名前の由来になったのはこんな物語・・・

戦国時代、信長に滅ぼされた近江源氏、佐々木義賢。
幼い曾孫を託す人さえおらず、
乳母の「との」に預けます。
彼女は郷里の草津へ隠れ住み、
餅ををつくっては売って養育の資としていました。
草津宿は、東海道と中山道が交わる、近江最大の宿場町。
旧主に対する忠誠と誠実な生き方に感心した宿場町の人々は、
いつしか彼女のつくる餅を

  「姥が餅」

と呼ぶようになった・・・と。

この噂は広く知られていたようで、
のちに大坂の役に赴く途中、家康もこれを賞味し、
彼女の長寿を寿ぎ、
流竹葉金と『養老亭』の親筆三字額を授けたといわれます。

家康は凱旋後もふたたび草津に立ち寄ったことから、
諸大名も必ず「姥が餅」を求めるようになったといいます。

15.ちくぶじま
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  瑠璃の花園 珊瑚の宮
  古い伝えの 竹生島
  仏の御手に 抱かれて
  眠れ乙女子 やすらけく

ご存知>『琵琶湖周航の歌』4番の歌詞。

古代から「神の島」と崇められてきましたが、
たしかに、黄昏どきに湖北から竹生島をながめると、
僕のような信仰心ゼロの人間でさえ、
どこか宗教的な感興をおぼえずにはいられません・・・。

16.マキノピッグランド
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高島市のマキノは、北海道のニセコと同じく珍しいカタカナ地名。
マキノピックランドは、旬の果物狩りを楽しめる農業公園です。
果樹園を一直線に抜けるメタセコイア並木は壮観。

17.とりにんげんコンテスト
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日本テレビ系列で全国ネットの
特別番組として放送される「鳥人間コンテスト」
1回目は滋賀県近江八幡市の宮ヶ浜水泳場、
2回目以降は彦根市の松原水泳場でおこなわれています。

冬には漬物用の赤かぶを天日干しする
珍しい光景が見られます。

18.とよさとしょうがっこう
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滋賀県がTVのワイドショーで取りあげられるのは、
ロクな話題じゃないことが多いです。

1999年、豊郷小学校(旧)校舎の解体計画をめぐっての、
町長と住民による解体か保存かの騒動も、
全国ネットでずいぶん取りあげられていました。

現在は旧校舎横に新校舎が建てられ、
旧校舎は補強のうえ、図書館や
町民ホールとして活用されています。

旧校舎は、W・M・ヴォーリズ設計で、
この小学校出身の伊藤忠商事専務、
古川鉄治郎が寄贈したもの。
いわば豊郷町のシンボル・・・というか誇りです。

2、3年まえからアニメ版の『けいおん!』で、
主人公の通う高校のモデルになっていることが話題になり、
「聖地巡礼」と称してファンが訪れるようになります。

町も「;">『けいおん!』で町おこし」・・・とノリノリ(笑)

あ~。 解体されなくて、よかった!

19.うかわしじゅうはったいぶつ
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今回2回目の登場、佐々木六角義賢。

彼が亡き母の菩提を弔うため、
びわ湖対岸の高島鵜川に建立したのが
四十八体の石造阿弥陀如来坐像群。

びわ湖を舞台にしたドラマや
映画に頻繁に登場する仏さんです。

四十八体仏のうち十三体が、
江戸時代のはじめに天海僧正によって、
なぜか坂本の慈眼堂へ移され、
いまも離れ離れのまま・・・。

20.つきのなみだ
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現在はそう呼ばれることはまずありませんが、
「月の涙」というのはびわ湖淡水真珠の愛称です。

  「えーっ。びわ湖で真珠が獲れるの?」

と思われる方もいらっしゃるでしょうが、
主に内湖で現在も養殖されています。

真珠王、御木本幸吉もびわ湖に目をつけていたらしく、
草津市の山田の沖合で獲ったダブ貝の中から天然真珠を発見。
大正時代にはゴールドラッシュさながら、
一攫千金を夢見る人々がびわ湖に殺到したこともあったのだとか。

びわ湖での真珠養殖は困難を極め、
藤田昌世が淡水真珠の養殖に成功するのは、大正14年。
ただ、それは商品価値のあるような代物ではなく、
彼が不屈の精神で本格的な真珠をつくりだすことができたのは、
ようやく 昭和9年のことでした・・・。
Commented by biwahama at 2012-12-12 23:42
このシリーズ楽しいです。面白いし発見もあって^^
本でもないけど~「そうだったんだ!」っていう情報をもらえるし(笑)
本当に滋賀の本でも出版できそうですね^^
マイブログのタイトル「古都大津から」なのに・・・発信しておりません^^;
いつか 時間が出来るようになったらdenさんみたいに
あちこちレポートしてみたいなぁ。
月の涙っていうネーミングは素敵ですね。 
Commented by dendoroubik at 2012-12-13 13:57
☆biwahamaさん

「と」で始まる言葉がどうしても出てこず
「あっ!鳥人間コンテストや!」
と 閃いたものの よく考えたら またしても「と」
(>_<)
…と いったぐあいに
思ったよりたいへんでしたが
ブレイクスルーした瞬間は
ちょっと快感だったり(^-^

京都と対照的に 滋賀はマイナーゆえに発見も多いですねw
マイナーさを逆手にとった観光誘導があってもいいな
…と思ったりもします(^O^)
by dendoroubik | 2012-12-12 20:15 | ◇湖国百景しりとり紀行 | Trackback | Comments(2)