甲賀 大原祇園祭

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ルールを知らない人がラグビーの試合を観戦しても、
円陣を組むことによってどんな進展があるのか・・・
そもそも、いったいこのゲームの選手たちは
何を躍起になって奇妙なかたちをしたボールを
奪い合っているのか、訝しく思うことでしょう。

同じように、この祭りの「花ばい(奪い)」行事や 
「インヨーソーライ」のかけ声で太鼓の胴を
いっせいにぶつけ合う少年たちの姿を目の当たりにした人は、
彼らが何をそんなに盛りあがっているのか
面喰ってしまうにちがいありません。

現代人にとって、祭りの「ゲームの規則」は
あらかじめ失われたものではありますが、
ラグビーのルールを知らなくても
攻撃と防御が一瞬に入れ替わり、
動と静、離合と集散がめまぐるしく反復されるゲームを見て
やはり美しいと感じてしまうように、
祭りはワケがわからなくてもやはり美しい・・・と思います。

大原川流域の九つもの集落
(神・いち野・大原上田・大久保・大原中・鳥居野・
相模・大原市場・高野)の人々が結集しておこなわれる壮大な祭りです。




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大原祇園祭りは、宵宮が7月23日、
本祭は祇園祭の「後の祭り(花傘巡行)」と同じ
24日におこなわれます。

本祭の午後、各集落では
大鳥神社に奉納される竹の竿の先につけられた
花笠が準備され、人々が集まってきます。
大原荘とひと口にいっても広範囲にわたるので、
このいち野地区(櫟野寺)のように
大鳥神社から離れたところは、軽トラで運搬されます。

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夏には全国各地で京都の八坂神社を発祥とする
「祇園祭」がおこなわれます。
大原祇園祭りも、似たところといえば
傘鉾のようなものが登場するくらいですが、
疫神封じのために祀り上げるという
同じ系譜に連なるものだと思います。

大鳥神社へ各集落が集まってきます。

先頭は、総代が勤める地区。
その後はくじ順に神社に入っていきます。
行列は傘、花笠を被った太鼓踊りの踊り子、
そして花ばいをおこなう白ずくめの男衆。

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現代の日本人にとって疫病というのは、
それほど大きな脅威に感じられることはありませんが、
昔の人々にとって夏を乗り越えるというのは
それこそ一大事だったのでしょうね。
「祇園祭」がこれほど全国に広まり、
伝承されているのをみると、
ちょっと慄然としてしまうほどです。

これほど全国からひっぱりダコの
祇園さんのパワーの源は・・・といえば、
主祭神のスサノオへの信仰といえますが、
神仏分離の明治以前、八坂神社の主祭神は
「牛頭天王」で(明治政府により、全国の牛頭天王を祀る祇園社、
天王社は、スサノオを祭神とする神社に強制的に再編) 
このふたつが習合して伝播しているというのが実情のようです。

なぜ「祇園祭」が疫病退散にこれほど
効験があると信じられてきたかという背景を
「牛頭天王」の説話にそって要約すると・・・

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容貌魁偉な独身の牛頭天王は、
龍宮に住む美しい姫、婆梨采女(はりさいじょ)を
娶るために、旅に出ます。
その旅の途中、夜叉国の国王、
巨旦将来(こたんしょうらい)に宿を求めますが、
すげなく追い返されてしまいます。
一方、貧乏な弟、蘇民将来は
粗末ながらも牛頭天王を歓待してくれます。

思いがかなって姫を娶り、
8人の王子をもうけた牛頭天王は、
かつて冷遇された巨旦将来に復讐にでかけます。

巨旦将来は千人の僧侶の呪文で結界を結び、
牛頭天王をはねのけますが、
ひとりの僧侶が居眠りをして結界が破れ、
そのスキに突入・・・巨旦将来を滅ぼされてしまいます。

牛頭天王は、逆に助けてくれた蘇民将来に
夜叉国を与え、自分はこれから 疫病神になると伝えます。
(ものすごい復讐心ですね)
ただし、蘇民将来の子孫だけは守ってやる・・・と約束します。
祇園祭でもらう「蘇民将来子孫」の護符は、
自分は蘇民将来の子孫だからお目こぼしを
・・・というサインなんですね。

同様の話はスサノオバージョンなど、
いろいろなヴァリエーションがあるみたいですが、
いずれにせよ宿を断られたくらい(?)で、
後々まで恨みを持続させる理不尽で
破壊的なパワーが「疫病」に擬せられ、
善行がそこから逃れる唯一の手段とされるところが共通しています。

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宮入り前に、参道脇の広場で太鼓踊り(?)があります。

踊り・・・といっても「インヨーソーライ」という掛け声
(二度目は「ハヨー、ハヨー」)で花笠を被った少年たちが
太鼓の胴をぶつけ合うだけです。
そういえばこの祭りには、
太鼓以外にはいっさい音曲も歌謡もありません。

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宮入りです。

楼門前、ささら竹を持った白ずくめの男衆(警護)が
左右に立っているなかを、行列がすすみます。
神社内に入ると、花笠の上に置かれていた酒樽が献上されます。
昔は警護のささら竹をくぐって酒樽を奪い合っていたそうです。
取ることができた者はどんな難病も治るといわれ、
激しい争奪戦が繰り広げられていたそうですが、
ケガ人が続出した為、昭和35年に中止。
現在は祭りの最後に楼門から粽投げがあり、
その粽に酒樽の当選券が入っているのだそうです^-^

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本殿まえ、楼門まえで太鼓踊りが奉納されます。 

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おそらく本来は踊り子は
男の子がつとめていたと思うのですが、
女の子のいる集落もあります。

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男の子だけの集落の太鼓踊りは激しく、
なかには鼻血を流す子もいましたが、
さすがに女の子は太鼓をちょこんと合わせるだけ・・・

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舞殿では、三人の少女の巫女さんが神楽を舞いつづけています。

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奉納を終えた集落の花笠は、楼門の外へ戻り、
待ち受けている警固の者に手荒い歓迎を受けます。

ささら竹と呼ばれる棒で、いっせいに
花笠を打ち落すべく攻撃をしかけます。

甲賀地方に伝わる「花ばい」行事を見るのはこれで3度目ですが、
いまだに何をされているのか理解できません^-^;

しかも、みなさん、たいへんな盛りあがりようです。

一説には、花ばい行事は、
スサノオのヤマタノオロチ退治を模したものといわれます。

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完膚なきまでに叩きのめされた花笠は、
最後に観衆へ向かってさしだされます。

今度はその花を手にしようと、争奪戦がはじまります。

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by dendoroubik | 2012-09-03 18:00 | ◆近江の祭 甲賀 | Trackback | Comments(0)