人気ブログランキング | 話題のタグを見る

金沢 百万石まつり2

金沢 百万石まつり2_c0196076_805762.jpg

6月2日の午前11時過ぎ、
尾山神社で神幸祭がはじまります。

祭神、利家公の分霊が御鳳輦に遷されます・・・





金沢 百万石まつり2_c0196076_8103272.jpg

慶長4年(1599年)前田利家が没すると
嫡子・利長は、その霊を仰ぎ神として祀ろうと考えます。

金沢 百万石まつり2_c0196076_811255.jpg

が、なんといっても当時の前田家は外様の立場。
幕府を憚って堂々と祀ることができません。

金沢 百万石まつり2_c0196076_842285.jpg

そこで苦肉の策として編み出されたのが、
利長が守護神としていた物部八幡(ならびに榊葉神明)を
遷座する名目で越中国射水郡の式内社物部神社
(富山県高岡市東海老坂)からこれを勧請し、
いっしょに利家を合祀してしまおう・・・という裏技です。

これが金沢城東の卯辰八幡社(宇多須神社)です。

金沢 百万石まつり2_c0196076_813433.jpg

ところが、この神社は、幕末になると
藩の財政窮乏とともに荒廃が目立つようになります。

明治時代になり、徳川の呪縛から自由になると、
旧藩臣を中心に、新たにちゃんとした藩祖を祀る神社をつくろうじゃないか、
という機運が高まり、明治6年金沢城の金谷出丸の跡地に
神社が建立されます。それがこの尾山神社です。

金沢 百万石まつり2_c0196076_814673.jpg

その後、次々と境内施設が整えられ、
1875年(明治8年)11月にオランダ人ホルトマンの設計による
奇抜な神門が造立されます。

金沢 百万石まつり2_c0196076_82242.jpg

日本初の避雷針を備えたこの神門(重要文化財)は、
いまや金沢のシンボルのひとつ・・・

金沢 百万石まつり2_c0196076_816841.jpg

「百万石行列」は、おそらく京都の時代祭をモデル
にされていると思うのですが、
延暦、藤原から明治までの風俗を再現した時代祭りと、
加賀藩の歴史を中心に、加賀鳶、獅子舞、
ブラスバンドやミス金沢なんかが登場する
百万石まつりは、ずいぶんと様相は異なります。

金沢 百万石まつり2_c0196076_11182162.jpg

ただ、平安神宮と尾山神社、ともに明治以降に建てられた神社が、
土地の創始者たる祭神の分霊を乗り物に載せて渡御し、
現在の発展した街を見ていただく・・・という中心行事は、
やはり変わりません。住む人々の気概ですね。

金沢 百万石まつり2_c0196076_1191965.jpg

by dendoroubik | 2012-06-10 12:00 | ◆加賀の祭 | Trackback | Comments(0)