2012年 06月 10日
金沢 百万石まつり2
6月2日の午前11時過ぎ、
尾山神社で神幸祭がはじまります。
祭神、利家公の分霊が御鳳輦に遷されます・・・
慶長4年(1599年)前田利家が没すると
嫡子・利長は、その霊を仰ぎ神として祀ろうと考えます。
が、なんといっても当時の前田家は外様の立場。
幕府を憚って堂々と祀ることができません。
そこで苦肉の策として編み出されたのが、
利長が守護神としていた物部八幡(ならびに榊葉神明)を
遷座する名目で越中国射水郡の式内社物部神社
(富山県高岡市東海老坂)からこれを勧請し、
いっしょに利家を合祀してしまおう・・・という裏技です。
これが金沢城東の卯辰八幡社(宇多須神社)です。
ところが、この神社は、幕末になると
藩の財政窮乏とともに荒廃が目立つようになります。
明治時代になり、徳川の呪縛から自由になると、
旧藩臣を中心に、新たにちゃんとした藩祖を祀る神社をつくろうじゃないか、
という機運が高まり、明治6年金沢城の金谷出丸の跡地に
神社が建立されます。それがこの尾山神社です。
その後、次々と境内施設が整えられ、
1875年(明治8年)11月にオランダ人ホルトマンの設計による
奇抜な神門が造立されます。
日本初の避雷針を備えたこの神門(重要文化財)は、
いまや金沢のシンボルのひとつ・・・
「百万石行列」は、おそらく京都の時代祭をモデル
にされていると思うのですが、
延暦、藤原から明治までの風俗を再現した時代祭りと、
加賀藩の歴史を中心に、加賀鳶、獅子舞、
ブラスバンドやミス金沢なんかが登場する
百万石まつりは、ずいぶんと様相は異なります。
ただ、平安神宮と尾山神社、ともに明治以降に建てられた神社が、
土地の創始者たる祭神の分霊を乗り物に載せて渡御し、
現在の発展した街を見ていただく・・・という中心行事は、
やはり変わりません。住む人々の気概ですね。
by dendoroubik
| 2012-06-10 12:00
| ◆加賀の祭
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