小松 お旅まつり3 五基揃え

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八日市町と三日市町のアーケードのあいだの交差点で、
橋南の五基・・・八日市町、龍助町、大文字町、寺町、
そして当番の西町・・・の曳揃えがありました。

西町の外題は『清盛入道仏御前 西八条之段』





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八日市町の曳山は豪華な二重屋根。
龍助町も同じく二重屋根で、これは橋南特有の様式。

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小松の子供歌舞伎は4年後に450周年を迎えるそうです。

加賀藩は経済の活性化と人心緩和の目的で
それまで長年禁止していた芝居や狂言を許可。

藩内では抑圧されていた芝居熱が高まり
「勧進帳」の町、小松でも明和年間に
子供歌舞伎の原型とされるものがおこなわれます。

そのはじまりは、今回当番町だった西町。

最初は粗末な移動式の舞台で
おこなわれていたそうですが、
やがて橋北の松任町が、近江長浜から
古くなった曳山を買い取り、
その後は地元の職人たちによって
小松独自の曳山が建造されていきます。

前田利常が絹織物を奨励したことから、
絹の産地、長浜とのつながりができていたのでしょうか。

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最盛期には10基あった曳山も、
昭和初期に橋北、橋南をそれぞれ襲った大火で前者の松任町、
後者の東町の曳山は焼失。
現在は8基が受け継がれています。

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西町の曳山は、はじめて小松の町人自らがつくりあげたもの。

松任町が買い取った長浜の曳山をモデルに、
14年後、西町の大工の棟梁・藤山清九郎が指揮したといわれます。

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『清盛入道仏御前 西八条之段』は平成12年、
同じ西町が『銘刀石切仏御前』というタイトルで
上演したことのある外題。

平成21年に龍助町が再演する際に
作者・石田寛人氏が出版された本
『仏御前への旅』(時鐘舎新書)によると、
仏御前の芝居を舞台のうえで見たい
・・・という思いが、この芝居を書かせた
モチベーションになっているとありました。

よそ者にはあまりピンとこないのですが、
加賀、とりわけ小松の方々にとって、
仏御前というのは特別な思い入れのある人物なんですね。

かといって、仏御前だけがクローズアップされているわけでなく、
セリフの長さといい、キャラクターの割付といい、
登場人物すべてが主人公といっていい描かれ方をしています。

数年まえに米原曳山まつりでこの外題がかけらたとき、
ただひとり清盛だけが「悪者」という印象が残っていましたが、
今回はその清盛もラストでただの悪者でなくなるよう
書き換えられたように感じます。

ただ、これは僕の勘違いかもしれません・・・

前半では有髪の清盛がラストでは僧形
で登場することで宗教的に救われているようにも思えます。
僕の見た米原版もそうでしたが(・・・といいますか、
米原では清盛=重盛は一人二役だったので
後半は清盛は登場しませんが^-^;)
前回の公演でははじめから僧形でした。

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仏御前の出身地で、
彼女が登場する狂言が演じられるというのも
オツなものだなあ・・・と思っていたら、
こんな美人観光大使もいらっしゃったんですね^-^v

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小松のゆるキャラといえば「カブッキー」。

お旅まつりの会場でも見かけたのですが、
撮りそこなったのでこれは昨年の彦根の
「ゆるキャラまつり」での1枚です。

新潟県糸魚川の「ぬーな」とツーショットw
by dendoroubik | 2012-05-20 18:00 | ◇小松お旅まつり | Trackback | Comments(0)
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