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悲しみは空の彼方に

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ダグラス・サークがアメリカで
いちばん最後に撮った映画のタイトル(邦題)ですが、
内容とは関係ありません。

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毎年4月4日、蒲生郡日野町大窪の日枝神社、
通称 「南山王」で山王まつりがおこなわれます。 

日野地方特有の祭礼で、この南山王を皮切りに、
12日の北山王など5月上旬にかけて
町内の7つの神社でおこなわれるものを 
「日野のホイノボリ」 と総称します。 

「ホイノボリ」というのは、5メートルほどの棒の先端に
御幣を取り付け、そのまわりにピンクや白の紙花をつけた 
「ホイ」と呼ばれる竹ひごを傘のようにひろげた幟のこと。




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前日の「爆弾低気圧」による暴風雨とは打って変わって、
当日はうららかな小春日和。 
春風にそよぐ「ホイ」はまるで枝垂桜のようです。

「ホイノボリ」の由来には諸説あって、
雨乞い、鎮花祭(花の散る季節にひろがる疫病の厄除け) 
など古来の農耕文化と関わりがあるという説や、
中世の祭礼芸能の練り物の影響を受けている
という説などがあるそうですが、定かではありません。

蒲生家による楽市楽座のころより、
この風習がひろまったともいわれます。

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近江の祭は春に集中しておこなわれます。 

これからGWにかけて各地で多彩な祭がおこなわれますが、
春祭りの多彩さにくらべると、
意外にも夏祭や秋祭には乏しいんですね。 

これは春祭りが「水利権」の確認を兼ねていたためだともいわれます。

びわ湖を擁する近江・・・水の豊富なイメージがありますが、
逆に山から湖までの距離が短いため、
また天井川が多いということもあって、
頻繁に旱魃がおこっていました。 

水利権は死活問題だったのですね。 
近江に雨乞いの祭りが多いのもこのためだといわれますが、
やはり「ホイノボリ」も農業用水を共有する地区によって
合同でおこなわているようです。

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で・・・この祭でどんなことがおこなわれるのかというと、
ホイノボリの下で人々がお昼ご飯を食べ、
酒を酌み交わす・・・ただそれだけです。 

もちろん、社殿では神事がおこなわれますが、
神輿も踊りもありません。 
祭りというよりも、ただの花見のように見えなくもありません。

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「この祭りでは何もおこりません」

・・・と、昨年もホイノボリのブログ記事でそう書いたところ、
地元の方からこんなコメントをいただきました。 

「自分たちが子供のころは 最後は紙花の奪い合いをした。 とても楽しかった」

・・・と。

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楽しげな情景が目に浮かぶようです・・・

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去年は3月11日以降、各地でいろんな祭りが中止されたり、
派手な祭礼はとりやめて神事だけがおこなわれたりしました。 
中止されずにおこなわれた祭りでも、
やるべきか悩んだところは多かったようですね。 

悲惨な目に遭われた方々が現にいるというのに、
自分たちだけが楽しんでいていいのか・・・というのが、
人々の逡巡のおおもとだったと思います。

中止されたところも、そうでないところも、
出された結論はどうであれ、
ふと立ち止まって考えることで、
日本人がもともと持っていた想像力を
ちょっと回復したといえるかもしれません。

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豊かな稔りをもたらす自然は、
また旱魃、暴風、疫病、地震、津波によって多くの人命を奪い、
それまで築きあげてきた生態圏に
壊滅的な被害をもたらすという貌ももっています。 

しかし、災厄の去ったあと、人々は同じ場所で
もと通りの生態圏を恢復しようという努力を営々とつづけてきたわけですし、
とくに地震の多い日本の歴史は、
この「生態圏」の再建の歴史といっても過言ではないと思います。 
そして、日本の祭りのほとんどは、
この自然に対する感謝と畏怖にもとずくものであったはずです。

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3月11日以降、多くの人々の心のなかに起こった変化
・・・被災地に対して何もできないもどかしさや、
遅々としてすすまない復興に対する憤りや遣る瀬なさ、
人の繋がりや絆の大切さに思いを致す
・・・という想像力は、壊滅するたびに再建してきた
日本の歴史の記憶によって惹き起こされたものかもしれません。 

思えば、祭りは年にいちど、
そんな原初的な感情をさまざまなかたちで呼び戻す行事。 

どんなノーテンキに見える祭りにも、
幾度も災厄に襲われては、そのたび「復興」し
今生きる喜びを分かち合うという動機にもとずかないものはありません。

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ところが、津波によって引きおこされた原発事故は
ほかの自然災害とはちがい、
人間の生存自体をも脅かす足枷になっています。  

高濃度の放射性物質に汚染された土地に、
いったい何年経てば再び住めるようになるの
か何の保障もありません。 

生態圏は生態圏内でおこった損傷については、
みずからの力で修復することができても、
生態圏の外部からエネルギーを取り出そうとする
原子力発電による損傷を修復する能力はもっていない
・・・といわれます (中沢新一 『日本の大転換』)。 

ここが自然災害と原子力事故との根本的なちがいです。 

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技術革新がすすんで原子力発電が 
「もうこれで安心」というレベルにまでなるのかどうかはわかりませんが 
(おそらく、仮に可能だとしても、割の合わない 
とてつもない高コストになるでしょうね) 
とうていそんなレベルに達してもいないのに 
「クリーンで安全です」という無根拠なフレーズが
毎日TVで流れていたことを思えば、
技術だけの問題ではなさそうです。
by dendoroubik | 2012-04-05 17:00 | ◆近江の祭 湖東 | Trackback | Comments(0)