勝山左義長まつり3 左義長ばやし

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蝶よ花よ花よのねんね 
    まだ乳のむか 乳くびはなせ


勝山左義長ばやしの代表的な演目 
「だいづる」・・・不思議な歌詞です。

わが子の乳離れをうながす意味だとも、
遊郭でだらしなく遊び惚ける若い衆を
諌めた曲だともいわれます。




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あるとき、祭りの酒に泥酔した若い衆が、
遊女の長襦袢を着たまま櫓にあがったのが、
この祭りの奇抜な装束のはじまりだとも。 

現在は、櫓のうえに女性や子供たちもあがりますが、
かつては男たちだけのもの。 

酔っ払って赤い長襦袢を着た若い衆が、
あるいは、いましがた遊女に決められたセリフを 
そのまま唄にしたのかもしれません・・・

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だとしたら、ちょっと艶っぽい唄ですね・・・

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「だいづる」の他には、めでたい「御大典」「金毘羅舟々」
なぜか「戦友」なんかの題目があります。

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慶長8年 (1603年) の文献に、
すでに勝山左義長についての記述があるそうですが、
その頃の勝山といえば、20年ほどまえに柴田勝安により
現在地へ移されたものの、柴田氏滅亡により秀吉側近の
成田重政、堀秀治、青木一矩らが
入れ替わり入り支配していた複雑な時代。

その後、この地は福井藩領になったり、
天領になったりしながら、元禄4(1691)年 
小笠原貞信が入封して勝山藩が復活。 
明治まで小笠原氏がこの地を治めます。

勝山左義長まつりについての紹介記事では、
必ず小笠原氏の入封より、
この祭りが盛んになったことが記されています。

小笠原氏の治世は財政的にも逼迫し、
一揆や打ち毀しなども絶えなかったといいますが、
この祭りについては無礼講とした・・・と。

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不満から目を逸らせるための政策だったのか、
あるいは藩主の粋なはからいだったのかはわかりませんが、
この祭りがこんなに楽しいのは、
きっとその名残りを留めているからかな・・・

と あらぬ空想をしてしまいます・・・
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Commented by toco-luglio at 2012-03-03 02:13
なんだか、美人が多いですね~!!!
本当に写真も文もすばらしいです。勉強になります。

Commented by biwahama at 2012-03-03 11:30
女性の祭りなのでしょうか?女性が山車に上がるのも珍しいですよね。
元気ハツラツな女性の笑顔と祭りを楽しむ様を見てると
こちらまで元気をもらえそうです。
左義長祭と聞くと 地元の近江八幡の祭りをふと思うのですが
そちらも最初の頃は長襦袢で男性が女装をして踊り舞う祭りでした。
今は担ぎやすいように 法被姿に様変わりしてきていますが
鮮やかな着物姿は 目を引きますね。
Commented by dendoroubik at 2012-03-03 16:49
☆tocoさん

椎名誠さんの「ニッポンありゃまあお祭り紀行」という本の勝山左義長編のタイトルが「みんないい顔 喜びの伝わる太鼓と火の祭り」というんです
ズバリ この祭りの良さを言い表したタイトルだと思います

祭りの人々の顔はいいなあ と思ってましたが 見ている方までこれほど楽しくしてくれるお祭りも珍しいですね^-^
Commented by dendoroubik at 2012-03-03 17:00
☆biwahamaさん

もともとは男が赤い長襦袢を来て太鼓を打っていたといいますから近江八幡の左義長と似てますね
祭りの内容はまるでちがいますが 干支のつくりものを飾るところも 似ています
八幡のようなダシではなく 民家に飾られるだけですが どこかで繋がってるのかな と思いました

元気ハツラツで 見ている方まで楽しくなるというのは まさにこのお祭りの特徴ですね
3月直前とはいえ まだ寒い冬のお祭りでこんなに熱いお祭りは はじめて見ました(^O^)/
by dendoroubik | 2012-03-03 01:00 | ◇勝山左義長まつり | Trackback | Comments(4)