2011年 12月 20日
堅田3 浮御堂
滋賀県を代表するアイコンといえば、
やはりこの浮御堂・・・でしょうか・・・
全国的のさほどの知名度はないにせよ、
浮御堂が滋賀を象徴する建造物であるのは
『近江八景』のひとつに描かれている
・・・というのも理由のひとつに数えられるでしょう。
比良山をバックに、手前にびわ湖に浮かぶ帆船、
浮御堂のうえを隊列を組むように飛ぶ雁の群れを描いた
歌川広重の堅田の落雁』<は八景中の白眉。
「近江八景」が選定されたのは、
おそらく慶長期だといわれますが、
広重のこの画によってこの景勝地は、
彼の名声ととも全国的なものになったともいわれます。
しかし、この広重の画のアングルは不思議です。
対岸の守山から超望遠レンズで眺めたようでもありますが、
それにしてもすごい俯瞰です。
広重自身が雁になって眺めているかのようです。
ちなみに和菓子の「落雁」は
近江八景の『堅田の落雁』 から名づけられた
・・・という説もあるそうです。
一般には「浮御堂」の名で知られていますが、
法人名は「満月寺」。
月がきれいに見えることからのネーミングでしょうか。
臨済宗大徳寺派のお寺です。
長徳年間(995~999年)のこと。
源信(恵心僧都)が比叡山横川から
びわ湖を見おろしていると、
毎夜、その畔に光り輝くものが見えたといいます。
網でその光るものを掬いとらせると、
それは1寸8分の黄色の阿弥陀仏像。
源信は阿弥陀仏像1体を造り、
その体内に黄金の阿弥陀仏をおさめ、
さらに1000体の阿弥陀仏像をつくります。
これらを収めるために創建されたのが浮御堂
・・・というのが寺伝にあるそうです。
幾度の荒廃ののち、桜町天皇が再興。
先代の堂は昭和9(1934)年の室戸台風で倒壊。
現在のお堂は昭和12年の再建です。
30年ほどまえには、びわ湖の水位の低下から、
脚部と回廊も補強されています。
浮御堂のすぐ横、びわこ湖に 珍しい湖中句碑があります。
台座は六角形になっていて、びわ湖の水位が低くなったときにはよく見えるのですが、こんな風に浪のある日は、音を立てて水が噴出しているようにも見えます。
湖も この辺にして 鳥渡る
という高浜虚子の句が刻まれているようですが、意味はよくわかりません・・・
このあたりはびわ湖の間隔がいちばん狭まったところなので、鳥たちもそれを知って湖を渡るのか・・・という意味でしょうか?
「堅田の落雁」 ではないですが、たしかにカワウやユリカモメの群れが落ちてくる光景をよく目にします。
風の強い日に御堂の突端に立つと、
まるで舟の舳先にいるようです。
松尾芭蕉は、元禄四年の秋、
前夜の十五夜に大津義仲寺で月見の席を設け、
十六夜の月を愛でるために門人たちと
舟を出して浮御堂まで来ています。
このときに書いた望月の残興なほやまず・・・」ではじめる
『堅田十六夜の弁』というのは、とても美しく好きな文章です。
その最後に添えられた句が・・・
鎖あけて月さし入よ浮み堂
月の光に照らされて、湖面も煌々と輝いているのに、
どうして浮御堂だけ扉に鎖をかけて閉ざされているのですか。
扉を開けて、阿弥陀さまもいっしょにお月見をしませんか・・・
太陽の光をさし入れた千躰阿弥陀仏。
満月寺には鎖あけて・・・」の句碑と、
もうひとつ芭蕉句碑が立っています。
比良三上雪さしわたせ鷺の橋
うしろにそびえる比良山と、
対岸に遠望できる三上山(近江富士)・・・
この場所に立つと、
この句の風景が自ずと描き出されます。
ときおり、たなびく雲が七夕の鷺の橋に見えたりもします・・・
水の色、空の色、建物と良くマッチングしてると思います。
2時間ドラマのロケによく使われる堅田ですが、京都から近いし、
ステキなロケーションがあるし、歴史もあるし、そらぁ、使いやすいですよね。
やはり滋賀といえば 浮御堂ですね!
「ここを出しとけば なんとなく滋賀っぽい」
ということで ドラマやなんかに使われやすいんでしょうか
比叡山だと 京都・・・と思われかねないですからね^-^;
やはり 滋賀はびわ湖をもっと活用しないと!
白髭神社あたりの国道や
早春の湖岸道路なんか 走っていて かなりの絶景だと思うんですが
案外 車を停めて景色を眺める場所がないのが ちょっと残念ですね