2011年 11月 10日
小江戸彦根の城まつりパレード その6
「城まつりパレード」には、毎年 「水戸の梅大使」
「高松ゆめ大使」「ひこねお城大使」の
女の子たちが先頭で行列します。
水戸、高松、彦根の大使がなにゆえに・・・?
もともと水戸(水戸徳川家)と高松(高松松平家)は相思相愛の仲。
高松藩の始祖は、水戸藩初代藩主徳川頼房の長男(黄門さまの兄)、
その後も養子のやり取りをしながら良好な関係を築いていきます。
一方、高松藩、彦根藩も、もともと
「溜間詰」の関係・・・つまり、
江戸城内における同じ高い格式を誇る
詰所にいたことから、互いに親交の深い間柄でした。
三者に亀裂が走ったのは幕末。
弘化元年、水戸藩9代藩主・斉昭が
幕府から突如 隠居を命じられます。
事実は霧のなかですが、当時の水戸藩士のあいだでは、
隠居命令を陰で演出したのは高松藩だ
という流言がまことしやかに信じられます。
両藩の関係は一気に険悪になります。
さらに水戸藩士の感情を逆撫でしたのは、
高松松平家と彦根井伊家との縁組でした。
このタイミングで直弼の二女・弥千代姫が
高松城主松平頼聡に輿入れしたのです。
なぜに、この婚姻が水戸藩に衝撃を与えたのかといえば、
水戸藩と彦根藩とは、
あまり仲がよろしくなかったからですね。
仲のよかった高松が、仲のよくない彦根と結んだことを
水戸が快く思うはずもなく、
事態はここから一気に「桜田門外の変」へ向けて展開していきます。
大老に就任した直弼は安政の大獄で反対派を弾圧・・・
とくに水戸<に対する弾圧は激しく、
尊攘激派志士数名が脱藩し、
薩摩の同志と連絡をとりあって
安政7年3月、江戸城桜田門外で彦根藩の行列を襲撃。
井伊直弼を暗殺します。
彦根藩邸でっは水戸藩に仇討ちをかけるべし
の声もありましたが、けっきょくおこなわれず、
士卒たちはその後 全員が斬首、家名断絶。
襲撃側もほぼ斬首、自刃、獄死しています。
(かわいい女の子の写真に似つかわしくないキャプションでスミマセン^-^;)
もちろん、やちにゃんのモデルは
高松に嫁いだ 弥千代姫です^-^
(いま気づいたのですが、
やちにゃんには ひこにゃんにはない肉球があったんですね・・・
どうでもいいことですが^-^;)
昭和41年、彦根城と高松城は、全国でもはじめての
「姉妹城都市」縁組(?)をおこないます。
2年後の昭和43年、明治100年にあたる年に、
水戸、彦根との間に 過去の遺恨を水に流して
「親善都市」提携がおこなわれました。
さらに6年後、昭和49年には彦根の仲立ちで
水戸、高松も「親善都市」提携。
1世紀以上の時を経て、ようやく3者の和解が成立し
「城まつりパレード」で行列するようになったわけですね。
的場さんの自宅には たびたび
緑色の宇宙人が出現するそうです。
by dendoroubik
| 2011-11-10 06:00
| ◆近江の祭 彦根
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