2011年 09月 22日
dendorouik 長崎のグラバー園であの唄を歌う
「グラバー園」 と聞くや、いまでもあるメロディが
反射的に心に浮かび、ついつい口づさんでしまいます・・・
行~かないで~ 行かないで~
お願~いビンカートン♪
そのあとに「行かないで~。イカあった、い(良)かった。桃屋のいかの塩辛」
というダジャレを ひとり呟くのも忘れません(笑)
ご存知 (?) 「桃屋のイカの塩辛」 のテレビCMです。
蝶々夫人に扮した丸メガネの三木のり平さん
(のアニメキャラ)が歌うこの曲・・・
オペラなんて観たことのない自分は、つい最近まで
『蝶々夫人』 に出てくる歌の替え歌やと思い込んでいたのですが、
実は三木さんのオリジナル(?)曲だったんですね!
『蝶々夫人』 は、アメリカの弁護士ジョン・ルーサー・ロングの短編小説 をもとに
プッチーニが作曲した2幕もののオペラ。
長崎を舞台にしたこのオペラは
プッチーニの『ご当地三部作』のひとつで、
あとのふたつは 『西部の娘」』と静香&純一郎の『トゥーランドット』。
没落藩士令嬢の蝶々さんが、
アメリカ海軍士官ピンカートンにさんざん弄ばれた挙句、
最後には自害するという物語(らしいです)
しかし、三木版 『蝶々夫人』 では自殺なんかせず、
イカの塩辛でヤケ酒!
しかも、よく聞くと 「ピンカートン」ではなく
「ビン(瓶)カートン」・・・うーん! やっぱり 三木さんはエラいなあ!
『蝶々夫人』 の原作者ジョン・ルーサー・ロングは
長崎外国人居留地の東山手に住んでいた
姉から聞いた話をもとに この物語を着想したといいます。
当時は、そういったことが、いくつかあったんでしょうね。
貿易商グラバーの内縁の妻ツルは
外国人たちをもてなす際に 蝶の紋の着物を身に着け
「お蝶さん」 と呼ばれていたことから、
彼女がモデルともいわれているそうです。
こういった関係で『蝶々夫人』といえばグラバー園
・・・という関係ができあがったんですね。
園内には『蝶々夫人』を演じ
世界的な名声を博したオペラ歌手三浦環の像や
作曲者プッチーニの像が建立されています。
(でも、ついつい三木のり平さんを連想してしまうのは僕だけ・・・?)
行~かないで~ 行かないで~
・・・あ! あなたの曲じゃなかったですね(笑)
旧グラバー住宅(国指定重要文化財)
1863年築の日本最古の木造西洋風建築。
設計はグラバー自身で、施工は小山秀の手になります。
トーマス・ブレーク・グラバーはスコットランド出身の貿易商。
幕末の日本で武器商人として活躍しましたが、
日本ではじめて蒸気機関車のテスト試走をおこなったり、
長崎に西洋式ドックを建設するなど
日本の近代化に大きな役割を果たしたといわれます。
維新後も日本に留まり、
外国人として破格の勲二等旭日重光章を授与されています。
晩年は東京ですごしたとのことですが、
最盛期をすごした長崎の邸宅跡が、
彼の名を冠した「グラバー園」として
長崎の観光の中心地になっているわけですね。
旧自由亭。
江戸の終わりごろ、日本ではじめてオープンしたというレストラン。
検事正官舎として使われていましたが、
昭和49年グラバー園に移築復元。
ちょっとわかりずらいですが、
右手に見えるオリーブの木は、
1973年にマリア・カラスが記念植樹したものらしいです。
旧スチイル記念学校。
明治20年、東山手の丘に建てられたミッション系の学校。
旧オルト住宅 (国指定重要文化財 )
大浦天主堂、旧グラバー住宅を手がけた小山秀の施工。
旧リンガー住宅(国指定重要文化財)
明治初期築のバンガロー形式の建物。
旧ウォーカー住宅。
イギリス人実業家 ロバート・ネール・ウォーカーの次男が
暮らしていたという、どこか日本風な住宅。
旧長崎高商表門衛所。
名医から昭和初期にかけて日本の経済分野の
高等教育を担った官立高等商業学校(長崎高商)
の創立時の表門衛所を移築したもの。
旧三菱第2ドックハウス 。
修理のために船が造船所に入っている間、
乗組員たちが宿泊した施設のことですね。
出口近くにある「長崎伝統芸能館。
「長崎くんち」 に関する展示をおこなっていて楽しいです。
長崎くんち・・・死ぬまでに一度は見てみたい祭りです。