2011年 09月 21日
dendoroubik 雨の熊本城のまわりを朝食まえにぐるり
目のまえのホテルに宿泊しながら、今回の旅行で「熊本城」を見物する予定は入れていなかったのですが
「穴太衆」 というのは、古代から石積み技術で近畿地方の古墳を製作・・・
のちに比叡山の門前町・滋賀の坂本を根拠地に寺や城郭の製作にあたった帰化集団。
彼らの技術力と、阿蘇の積み石文化、
さらには朝鮮出兵で得た大陸の最新技術を織り交ぜて完成したのが 「武者返し」 で名高い熊本城の石垣です。
「東十八間櫓」と「北十八間櫓」(ともの重要文化財) を頂く 高さが約20mの石垣。
武者返しの曲線が なんとも迫力があります。
はからずも難攻不落であることが証明されてしまったわけですね。
西郷軍の敗北の原因は熊本城を攻める選択をしたことによるともいわれます・・・
空堀からの櫨方櫓跡下石垣と大天守。
熊本城には 出丸と二の丸、二の丸と藤崎八幡宮の間には空堀が設けられています。
宇土櫓を頂く急峻な石垣は、まるで櫓と一体になったような見事な美しさです。
現存する遺構は、この宇土櫓をはじめ監物櫓、平櫓、五間櫓、北十八間櫓、東十八間櫓、源之進櫓、
四間櫓、十四間櫓、七間櫓、田子櫓の各櫓、長塀、不開門の13棟・・・それぞれ国の重要文化財に指定されています。
南大手門。
雨に煙る備前掘に面した飯田丸五階櫓。
平成17年に復元されたものだそうですが、とてもしっくり馴染んでいてすばらしい眺望ですね。
「備前堀」 の名は 清正のまえの国守、佐々成政の遺族にして清正の重臣、佐々備前守の住居があったことに由来するそうです。
本丸南側の飯田丸五階櫓。
西南戦争の罹災は免れましたが、その後、陸軍により破却。
西竹之丸脇五階櫓、札櫓門、六間櫓・書物櫓なども同じ運命をたどっています。
熊本城の内堀である坪井川沿いに、奥へ長さ242mにおよぶ、日本一長い長塀。
熊本の市街地に面しています。
ホテルに帰るころには雨もあがり、晴れ間も出てきました。
じっくり熊本城を散策できなかったことが、いまさらながら残念・・・
こんなに立派なお城があったんですね。
私の場合は、いつも路面電車や駅ばかりに目がいってるので、折角、熊本へ行ったのに熊本城見てません(汗)
暗くなってから、駅前でラーメン食べたなぁ。ホテルは私も駅前だったなぁ。。と思い出しています。
熊本に行きながら 熊本城をじっくり見なかった自分もたいがいですが
城の存在にすら気づいていないyumeさんには かないませんね^-^;
熊本は ぜひもういちどじっくり探索したい 魅力的な町ですね
人口に比して 地下鉄などがないせいでしょうか
路面電車とバスが20台ほど縦列している場面に遭遇しました
レンタカーに乗りながら
「あれ? ここは一般車両進入禁止かな?」
と 何度も思いました^-^;
西南戦争で 城下町は全廃したそうですが
銀行のすぐうしろに風俗店があったり・・・なんか・・・とても気に入りましたw
歴史も地理も、もっと勉強しておくべきでした。。
こんな綺麗な写真付きだったら頑張れたかも!
大迫力の石垣を見ていると当時の必死さを想像してしまい、
なんだか危機感を感じてしまいました。
観光パンフレットの寄せ集めの知識なので あまり信用されても困りますf^_^;
僕も お城の石垣なんかを見ると めまいがしそうになることがあります
クレーンやなんかの重機のなかった時代に いったいどうやってあんなものをつくりあげたのか…
しかも ほとんどのお城は けっきょく戦術上はなんの意味もなさなかったわけですからね…
そこまでして敵の侵入を防ごうとする恐怖感にも はかりがたいものがありますね
思い入れだけの いいかげんな記事でお恥ずかしい限りです・・・
お城好きの方はたくさんおられますが 自分は石垣にいちばん惹かれます
とくに 熊本城の石垣の迫力と美しさといったら なかったですね
この製作に携わったといわれる 「穴太衆」 は 地元大津に根拠をもち
比叡山延暦寺の門前町・坂本に見事な石積みを残しています
ぜひ Capt.Yamaさんには見ていただきたいものです
特に 「山王祭」 のおこなわれる4月が シダレ桜も見事で もっとも美しいです