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アイドルを探せ! その5 横光利一

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万葉集から松尾芭蕉まで、
豊饒な文学の舞台となってきた近江の国も、
こと近現代文学となると傍流に追いやられたという感を免れません。 

滋賀出身の外村繁なんて、現在は 読まれることも稀
・・・どころか、よほどの文学オタク以外 
その名さえ知られていないんじゃないでしょうか。 

琵琶湖疎水も湖の取水口から下って、
京都側へ行くと その畔に 志賀直哉や谷崎潤一郎が
一時寓居を構え、作品にも描かれています。

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取水口から第一洞門まで・・・
その名前のわりには意外と短い滋賀側
(すぐに長等山のトンネルに入ってしまうので・・・) 
の琵琶湖疎水の畔に、少年時代の一時期を送った作家がいます。




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京阪石坂線・・・「放課後ティータイムトレイン」に乗って 
三井寺駅に降り立ちます。 

琵琶湖疎水沿いに三井寺方向に歩くと、
最初の大きな通りが、大津宿で東海道から分かれ、
北陸へとつづく 「北国海道」・・・
疎水に渡した北国橋・・・
さらにすすんで 「鹿関橋」をわたると、旧鹿関町(現三井寺町)。

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横光 利一は 1898(明治31)年 福島で生まれ、
土木技師だった父にともない 
幼いころから 千葉、東京、広島などを転々とします。 


彼が最初に大津に移住してきたのは、
父が新逢坂山トンネルの仕事に従事することが決まった5歳のころ。

大津尋常高等小学校(現中央小学校)に入学しますが、
1ケ月後には鹿関町への転居にともない、
大津西尋常小学校(現長等小学校・・・トップの写真) に転入。


ところが、父の朝鮮半島への転任により、
母の実家・三重県柘植へ移住。

しかし、その5年後、父が第二琵琶湖疎水の工事に従事することになり、
ふたたび鹿関町へ戻り、長等小学校に再転入します。


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彼が小学校1年生のときに住んでいた 鹿関六十六番・・・

5年生から卒業するまで住んでいた同六十八番地というのは、
現在、地名がかわっているのでわかりませんでしたが 

  「橋のちかくの二階建て棟別二軒屋」 

とありますから、おそらくこのあたりでしょうか。 

長等小学校のすぐ近くです。 

琵琶湖疎水の案内板や
「鹿関町」という旧町名の由来が書かれた碑が建っていますが、
横光の事跡を示すものはなにもありません。

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小学校卒業後、膳所中学(現膳所高校)を受験するも失敗、
翌年三重県立第三中学校(現上野高校)に入学します。

(ともに現在も、両県を代表する進学校です)。 

中学卒業後は父の反対を押し切って
早稲田大学の英文科に進学、
両親も京都山科の四宮へ転居しますので、
横光が大津に住んでいたのはごくわずかな時期にすぎませんが、
帰省のおりも、折り合いのよくなかった両親の家よりも、
大津松本に嫁いだ姉の家に足が向いていたようです。

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ごく短い時期だったとはいえ 
「故郷」 をもたない横光にとって、
多感な少年時代にすごした大津は思い入れの強い土地だったとみえ、
小説や随筆に頻繁に登場します。

  思ひ出といふものは、誰しも一番夏の思ひ出が多いであらうと思ふ。 
  私は二十歳前後には、夏になると、近江の大津に帰つた。 
  殊に小学校時代には我が家が大津の湖の岸辺にあつたので、
  琵琶湖の夏の景色は脳中から去り難い。 
  今も東海道を汽車で通る度に、大津の街へさしかかると、
  ひとりでゐても胸がわくわくとして、
  窓からのぞく顔に微笑が自然と浮かんで来る。

  大津へ来かかると、私も傍にゐる見知らぬ人にでも、
  ここは私の小さいときにゐたところでと、
  思はずいひたくて堪らぬ気持に誘惑される。 
  大津の美しさは、たまに大津へ行つたものでも感じるのであらうか。 
  去年初めて関西へ連れて来た私の家内は、
  京都大阪奈良と諸所を歩いてから大津へ来ると、
  一番関西で好きな所は大津だと私に洩した。 
  家内と大津へ行つたときには早春であつたが、
  夏の大津の美しさは、またはるかに早春とは違つてゐる。 
  「唐崎の松は花より朧にて」 といふ芭蕉の句は、
  非常な駄作だといふ俳人達の意見が多いが、
  膳所や石場あたりから、始終対岸の唐崎の松を見つけてゐる者でなければ、
  この句の美しさは分り難いと思ふ。

  尾花川の街へ入る所に疏水の河口がある。 
  ここから運河が山に入るまでの両側は、
  枳殻(からたち)が連つてゐるので、秋になると、
  黄色な実が匂を強く放つて私たちを喜ばせた。 
  運河の山に入る上は三井寺であるが、
  ここ境内一帯は、また椎の実で溢れたものだ。 
  去年の私は久しぶりに行つてみたが、
  このあたりだけは、むかしも今も変つてゐない。 
  明治初年の空気のまだそのままに残つてゐる市街は、
  恐らく関西では大津であり、大津のうちでは疏水の付近だけであらう。                     
                                           
                             (横光利一 『琵琶湖』)


これほど手放しで絶賛されて、
大津市民としてもうれしい限りですが
・・・もちろん、現在の大津に「明治初年の空気」
を探すのはむずかしいですね。 
それは、たんに星辰のしからしむところだけでなく、
彼のなかで「思ひ出」が
過剰に脚色されてしまっているからかもしれません。

だいたい、自分の「故郷」を語るときに、
教養のある人が、こんなあけっぴろげな物言いをするでしょうか。 

幼いころから各地を転々とし、
生涯「故郷」を探し求めた横光利一・・・

幼いころにすごした大津の町に、
その切ない思いを投影しているだけ
・・・と考えるのは穿ちすぎでしょうか。 

奥さんに「一番関西で好きな所は大津」
と言わしめたのも、本人の印象というよりも、
隣にいた彼の偏愛が感染したただけのようにも読めます。
あんなに理知的が文章を書く人が、
そんなことにも気づいていないようなのが謎です。

あるいは、当時の大津が、
彼のいう通りの町だったのかどうかは、
平成になってから大津に住みはじめた僕には
どうかはわかりませんが・・・
こんなふうに考えてこの文章を読むと、
ひとりの孤独な少年の面影が浮かび、
とても果敢なく、いじらしい気分になります・・・

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三井寺の直下、琵琶湖疎水の第一洞門には、
伊藤博文揮毫による扁額が掲げられています。

  「気象萬千」

意味は・・・様々に変化する風光はすばらしい・・・
横光の描く大津にふさわしい言葉に思えます・・・
Commented by うずら at 2011-09-17 22:28 x
へぇ~、滋賀県に、大津にゆかりのある作家やとは知りませんでした。
大津といえば、琵琶湖グランドホテルとか、堅田浮御堂とか、
2時間ドラマの舞台にはなってますけどねぇ~
Commented by dendoroubik at 2011-09-17 22:59
☆うずらさん

いま思い出しましたが 大津出身者には 花登筺がいましたね
(彦根には 団鬼六が^-^;)

横光利一と大津のことは  Wikipediaにも載ってませんね
読んでみないとわからないし・・・でも 誰も読まない
たぶん 読む必要もない^-^;
滋賀の立ち位置も だいたいそんなもんですね・・・
Commented by うずら at 2011-09-18 12:05 x
滋賀県て、ず~っと、文化不毛の地かと思ってたんやけど、
結局、あえて「滋賀」をアピールしなかっただけで
(するのが恥ずかしい? もしくは、「どこ?それ?」と言われる・・・)
文化人はちゃんといはったということですね。
昨日、今日とやってるイナズマロックフェスの西川くんとか、
「滋賀が大好き!」って、アピールする人が、やっと出てきた感じ。
作家では、姫野カオルコさんとか、幸田真音さん、(すいません、読んでないけど)
ヒロ・ヤマガタも、米原出身やし、
「ルーキーズ」で儲けたであろう、漫画家の森田まさのりさんは、
栗東のお寺の息子さんで。
みなさん、滋賀県出身と、あえて言うてはらへんけど、
隠してはいはらへんし。
そういや、あの、尾木ママが滋賀出身というのは、ビックリ・・・
ご本人が言うてました!
けっこう、いろんな人がいてはりますわ。
Commented by dendoroubik at 2011-09-18 16:14
国宝の保有数が全国4位なのに 旅行したい県46位の滋賀^-^;
なんだか 地方の観光地が 「世界遺産」 の登録に躍起になるのがわかります・・・
「国宝」 では 観光客は呼べないぞ・・・滋賀みたいに・・・と(涙)

でも 司馬遼太郎もいうように 滋賀・・・というか近江は
明治以前は 全国でも有数の ブリリアントな国やったんですね
中央集権化がすすむなかで ワリを食った・・・というか・・・
それはなにも 滋賀だけの話ではなく 「地方」 といわれるところは 皆 そうですね
封建社会がいいとは決して思いませんが 江戸時代の 「地方」 は経済的にはともかく
文化的には 今ほど貧弱やなかったと思います

観光で成功している土地を横目で見て
「おらが村は アピールが足りない」
・・・という人は多いですが 足りないのは アピールではなく 
その土地が本来持っていたはずの魅力への理解と それを伝承する心意気だと思います

無理からに探すと 滋賀はとても魅力的な土地ですね
無理からに探さないとわからないのがつらいところですけど^-^;
Commented by yume at 2011-09-18 21:52 x
いきなり、耐震補強のなされた我が母校の画像。
あそこは会議室で、あそこは図書室。あのあたりは職員室。六年生の時の教室はあのあたり。。
それに続く画像は六年間毎日通った通学路。あの橋。。あの水門。

そして感動は この地を絶賛した小説があるという事を知っておられるdendoroubikさん。 教えて頂かなかったら知らなかった。

思い出は、それを取り巻く状況、環境によって美化されたり脚色されたり、時には灰色にされてしまったり。。
それでもこんな風に絶賛してくれた人がいたことがとても嬉しいです。
Commented by dendoroubik at 2011-09-18 23:30
☆yumeさん

ちょっとシニカルな書き方をしてしまいましたが 僕も大津の町を歩いていて
横光みたいな気分になることがあります
いまの大津が 「美しい」 かと聞かれれば…とてもそうだとは答えられませんが
たしかに彼が感じた町並みや風光がかつてここにあって
ひょっとしたら 住民の少しの努力 (と 想像力) で そういったものは蘇るのではないか…と
大津祭の宵宮なんかを歩いていると とくにそんな空想にとらわれてしまいます

『比叡』 という小説にも yumeさんの小学校のことが少し出てきますよ
横光少年の植えた桜の木の下で yumeさん ゴム跳びしてたかもしれませんね^_^
Commented at 2012-01-30 20:11 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by dendoroubik at 2012-01-31 21:11
☆鍵コメント様

コメントいただきまして ありがとうございます

誠に申し訳ありませんが 自分のものではありませんので お送りすることができないのです
番組の成功をお祈りいたします
by dendoroubik | 2011-09-17 21:11 | ◇アイドルを探せ! | Trackback | Comments(8)