2010年 09月 22日
京都 等持院
龍安寺にほど近い等持院は、
臨済宗天龍寺派の寺院・・・というよりも、
足利尊氏の墓所として有名ですね。
あるいは、作家・水上勉が
小坊主として寄宿していた寺として・・・
また、あるいは当時の住職が、
京都商業にいた後の伝説の名投手・沢村栄治を
巨人に紹介した逸話で・・・
はたまた、日本映画の黎明期、
日本映画の父・マキノ省三がその裏地に撮影所をつくったことも・・・
しかし、龍安寺の繁盛ぶり(?)にくらべて、
この寺院を訪れる人の数は、格段にすくない・・・
足利尊氏がこの地に「別院北等持寺」を建立したのは1343年。
その2年まえ、柳馬場御池付近に等持寺を建立されていますが、
尊氏の死後、「別院」がその墓所となり、「等持院」と改称されます。
応仁の乱で本寺が焼失したため、
別院だった現在の等持院が本寺になります。
方丈庭園。
茶室『清漣亭』と庭園。
衣笠山を借景にしていますが・・・
大学の建物で、衣笠山は見えません・・・
足利義政が建てたものといわれます。
等持院の庭園は、夢窓国師の作庭と伝えられます。
様式的には江戸中期ころのものいといわれますが、どうなんでしょうか・・・
方丈北庭の東側は、心の字をかたどって作られた
『心字池』を中心に構成されています。
撮影はできませんが、霊光殿の歴代足利将軍、
及び徳川家康木像は圧巻です。
足利尊氏公之墓。
墓地のまえには、マキノ省三の像が建っています・・・
子供の頃、この像に腰掛けてバスを待ってた覚えあります。
でも、どういうオッサンの像か全く知りませんでしたし、親も説明してくれませんでした。
それを三十ウン年前にここに移動させたんです。
日本映画に興味を持って等持院までこれを見に行ったとき、びっくりして、そして懐かしかったです。
30年近くまえ この裏の大学に入学して はじめてこの像を見ましたが
太秦から移設されたとは はじめて知りました
マキノの撮影所があった場所なので てっきりその筋で建てられたものかと・・・
(ワイズ出版さんの『マキノ雅弘の世界』日本侠客伝、次郎長三国志・・・山田宏一さん著・・・は愛読しています)
あまり無理をされず、養生に努められますよう十分にご自愛下さい。
等持院はまだ2回しか訪れていませんが、足利菩提寺として各将軍の木造が安置されていたのが印象的でしたね
その木造の手首や刀の1部を持ち去った盗難事件が2年前(?)にあった記憶があります・・・・一体何にするんでしょうか??
訪れたのが冬だった為もあり・・・庭園の茶室の向こうに立命館大のレンガ色のキャンパスがあったような記憶があります。
新緑の頃が良いのかもしれません
凸っと応援いたします☆
ありがとうございます^^
いつも拝見していて 感心させられるのは
好きな場所に 何度も足を運ばれて じっくり対象を見られること・・・そして 撮影されていることです
自分はいつも「通りすがり」でしか見ることも 撮ることもできません・・・反省です^^;
仏像やなんかの盗難事件は あとを絶ちませんね
嘆かわしいことです
昨年だったか 近所の大津坂本の野仏の盗難事件がありました
もちろん 自制していますが 実は ちょっと気持ちがわからなくもないです・・・犯人の^^;