2009年 06月 06日
大津百町1 北国海道
江戸時代の大津の賑わいを称して「大津百町」といいます。
今は新幹線も素通りです。
名神高速も国道1号線も・・・用でもない限り、多くの人は素通りでしょう。
素通りしたくてもできない、徒歩が唯一の交通手段だった時代にだけ栄え得た町・・・と考えると少し淋しいですが、近江八幡や五個荘のように、かたまりで町並みが保存されているわけでもありません。
でも、通りや僅かな建物が残っていて、想像力で失われたものを補いながら歩くと、けっこう楽しめます。
「大津百町」の範囲は、琵琶湖でいうと、湖西の尾花川から京阪の石場駅あたりまで。そこを底辺として、京都との境、逢坂あたりまでをいいます。
尾花川から歩いてみます。
京阪電車が敷線される際、カーブに合わせて屋根を三段階に切り込んだ・・・ということです。
つづく・・・
だって 私の小学校区なんですもん、
尾花川の隣の「観音寺」って所に結婚するまで住んでいました。
写真見ながら、あ。。あれはあこ。。あれはあこ。。と嬉しくなりました。
こうしてブログで見るのって不思議な気持ちです。
お豆腐屋さんは、私が銀のアルミのボールを持って「おつかい」に行っていたところ。。
「大津絵の道」って言うのは、実は その昔 江若鉄道が走っていたところなんですよ。私が子供の頃はまだ線路があって電車走ってました。
「安藤昆布店」は友達のおばあちゃんちで、一度遊びに行った事ありました。
「ローソク」のお店は浜大津の線路沿ですね。
今も変わらずに居てくれる事が嬉しいです。
あのあたりも都市開発ですっかり景色が変わりましたが、こうして残るべきものは残っているので嬉しいです。
また久々に行きたくなってきました。
以前いただいたコメントに、旧三校の艇庫の近くにお住まいだったとありましたので、今日も、このあたりかなーとかふと思いながら、歩いていました。もちろん、観音寺もチェックしました。
自転車で浜大津までぶらぶらポタリングするコースなので、この湾曲した町並みは以前から気になっていました。
歩いて気づいたのは、お豆腐屋さんの「匂い」です。
スーパーで買うと、この匂いが付いて来ないんですよねー。